巣鴨、ガンマニア、自分の歌
1996年10月06日(日)
今日はまあ勉強した。気迫と根性と創意工夫。
出かけた。布井氏と合流(根岸氏、金城氏とも)、メシ屋へ。まあ、たまにはメシにカネ出すのもよかろう。
お年寄りの銀座、巣鴨のとげぬき地蔵通りへ。ほんと年寄りばかり。どこもかしこも。子供もまあ多いかな?「戦友の遺骨を抱いて」を流している傷痍軍人が。作りが簡単なマニピュレーターみたいな義手をしていた。2人いたが、2人とも肩から下の腕がなかった。どういうメカニズムで動かしている義手なんだろう。しかしおそろしいことだよね、喪失というものは。俺も昨日ハサミでヒゲを切ろうとして、間違って紙を切るような軽やかさでアゴの皮を削り取っちまっただけでもおそろしかったというのに。しかし今時、ねえ。小遣い稼ぎ?そうやっているのがライフワーク?年寄りばっかりだからこそ、だな。
TV屋がいた。別にめずらしくはない。
メシ屋、もとい、うなぎ屋へ。TVに出たこともある店だそうで。金城氏は別行動。
店の中もご老人ばかり。偶然相席したおばあさん同士がお若いですねえ、一人暮らしですから、76になります、86になります、若い人がホントうらやましい、などと大声で話し合う。なかなか、こういう年寄り同士の交流ってものに触れたことがないから、なんか新鮮。というか心温まるというか。聞いていて感心というか楽しかった。ヒマなお年寄りの昔話もいつか聞いてみたいものだ。大きな勉強になる。
久しぶりのうまいメシ。皆マズイというが俺は寮のメシもうまいと思う。これんな特別うまいメシと比べる方がおかしい。
田山氏、湖陵から東大行くのが1人と聞いてたいしたことねーな、と。ふ。今頃気付いたか。
夕食時、田山氏に「晴天ヤン、ガンマニアなんだって?」と。俺は左手で防御のカッコウをして、いかにも驚いたように反り返る。意図的な反応だが、大いにうけた。
モデルガン、エアガン、何丁?と。うーむ、と考えていると数えられないほどか!使い物になるのは2丁。少ないしょ(北海道弁)。でも3万円だ。それに俺は玩具には興味がない。
田山氏、ベレッタM93Rを持っていた、と?フルオートというとマルゼンの?デインジャラス!あんなもので撃ち合って遊ぶとか!
三浦氏、自分の歌のテープをウォークマンで皆に聞かせる。大反響。マジでうまいらしい。彼も最近はイカれしことも(あまり)せず、不快なことも(ほとんど)言わず、うまくやっているじゃないか。感心。四六時中人とともにいるので、人との接し方を覚えて、工夫しているのか?やりおるわ。少し感心。
この日のカネの動き
交通 地下鉄、白山⇔巣鴨 -170×2
メシ うな重(中) -2,060
財布残高 2,347円
解説
巣鴨の傷痍軍人について、布井氏は偽傷痍軍人だといっていたが、当時はまだかろうじて本物がいてもおかしくない時代ではある。四肢の欠損は戦傷ではない別の理由かもしれない、と考えることもできる。どういう人物がどういう意図でそこにいて「戦友の遺骨を抱いて」を流していたのかは知る由もない。だが、身体欠損自体は事実であり、それについては私は戦慄していた。しかしそうした光景に心動かされること自体が私の田舎者ぶりであり、簡単に偽傷痍軍人だろうとして関心も向けないのが布井氏の都会人ぶりであった。
三浦氏はウォークマンを没収されたはずだが、また買い直したのだろうか。それともさすがに高額商品だから廃棄されず親元に送り返されたものを、親が言われるまま小包に潜ませてまた送ってきたのだろうか。皆が大反響を送るぐらい歌がうまいというのは、刺激と娯楽の乏しい暮らしであることを差し引いても才能である。
三浦氏は、トラブルメーカーとして散々叩かれてきて、「注意している」という美名の元に罵詈雑言、攻撃をも受けていた。蛇蝎のように思っていた人間も少なくなかった。しかし彼はいつでも人の輪の中(中心であれ端であれ)にはおり、それなりに距離感を試行錯誤してうまくやりつつあったらしい。これは彼にとっては受験勉強よりも大切な財産となったかもしれない。
私の母校、釧路湖陵高校については、北海道東部では1番の進学校ということで、なぜか虚名が響いており、すごい進学校だと扱われていたりもした。しかし「学年で1人東大に行く程度」というよくある田舎の進学校だと知って、大したことないとバレたのである。