手紙未投函
1996年10月12日(土)
(未投函の手紙)
・受験者の程度が低いのだか何だか知らんが、英語で偏67いきおった。まさか、こんな数字を見られようとは。それでも英語1教科の中大総合政策でC判定の30%か。すさまじいものよ。まあ、教科が少ない方が高くなる。
・現文・古文が55とはここ3年半で最低だな。まあいい。これを契機に国語のやり方を改めたからな。私立の問題ならあらかたできるようになった。
・近くの■■高校の生徒が学ラン着たままタバコをふかしていた。そんなに見てもらいたいか。しかし人のこと言えないわな。よく考えたら自分も18才だ。まだ18才だったのか。健康診断のとき表を見たら21才ってのもいたな。20才もところどころに見える。たまんねーよな。選挙権もあるし、浪人中に成人式もある。やはり一浪までだ。医系の方には35才の人や妻子持ちの人もいるらしいし、四大卒の人もめずらしくないそうだ。
なんにせよ俺は一浪までだ。早くせんと草刈部氏が卒業してしまう。うちの一族の男は皆(except1人)浪人。大学も3流(except慶応)。俺は後者の方をくつがえす。
・どうでもいいが、身内に喫煙者はどれぐらいいるんだ。うちの寮は8人許可をもらっているが、外で吸っているのを何人か見たし、中1からやっていて、ここに来てやめられたという人もいる。
・一族郎党で最年少の俺は上からの圧力の中で育ってきた。それへの反発ことが俺の力の根源のような気がする。といっても、むやみやたらと体制に命令されたり、束縛されたりするのに反発する幼稚なバカとは異なる。俺は素直でマジメなのでそういうのとは違う。俺のは、なめられること、おちょくられること、軽くみられること、要するに弱者とみられること、あるいは見られていると思われていることへの反発だ。ここで学力を伸ばしているのも直接的にはその反発による。俺を弱者と見る奴は何人たりとも生かしてはおけない。だが、ぶっ殺したらぶち込まれるし、そんな奴のために俺が倫理的に苦しみ悔いるわけにもいかない。自制も強さだ。だから、鉄拳をふるうかわりに、相手の硬直した「観念」を実践で破壊してやる。これこそが気迫の源だ。ついでに弱者は人をも弱者と見るから嫌いだ。俺が何故、あんなにも高校の■■君に怒っていたかというと、奴は繊細極まりなく傷つき落ち込んでばかりの弱者なのに、俺を自分以上の弱者だと見なして、そう思い込んでい「る」からだ。それがなくとも問題の多く奴ではあるが。
相手のくだらん思い込みを破壊する。とりあえず勉強に全エネルギーを!
解説
また近況報告をしているうちに感情が高ぶり、出すのをやめた手紙である。近況報告のところは、喫煙許可をもらっていたのが寮33人のうち8人と正確な数字が記載されていたり、現代文・古文とを合わせた国語の偏差値55が、劣等生であった高校時代3年間を通してさえ取ったこともない低い偏差値だったことも(勉強していなくても国語だけそこそこできるよくいる異常者だったのだ)、見て取れる。
ここでいう「観念」というのは他者が自分に対して抱くステレオタイプのことだろう。確かに一族郎党の中ではほぼ最年少で、他の兄弟・いとこらとは大きく年齢が離れていたこともあり、必要以上に何も知らず、何もできないと侮られていたと感じていた。しかし歳の離れた親戚の子供については、なかなか年齢相応の扱いはではないものである。
その程度のことなのだが、大学合格後においても、親戚の寄り合いでヒゲ剃りの話がなんとなく出たら、「あんたヒゲ生えるのかい」と言われて激昂し、その認識を覆すためにヒゲをしばらく剃らず長く伸ばしてから親戚の寄り合いに出席する稚気も見せた。もちろんヒゲなど、小学校高学年のあたりから生え始め、中学では誰もが電気シェーバーを宿泊研修・修学旅行に持ち込んでいたぐらいで、20も超えれば特殊な体質でもなければ普通に生えることではある。しかしいつまでもガキ扱いしているのかと激昂したりしたのである。また、別の機会では自動車免許を持っていることについて「あんな免許もってるのかい」と、田舎出身の人間なら18〜19歳のうちに取るものを持っていることに驚かれたことに屈辱を感じ、根室まで一人で実家の車で乗り付けたこともあった。
そういう稚気は歳をとるとなくなっていくものだが、両国に入っていた当時にはまだまだ非常に強く、自分が侮られるような人間ではないと証明するため、自分へのステレオタイプを実践で破壊するため勉学にいそしんだのであった。この、若者特有の稚気がうまい方向に進んだ例といえよう。
「身内」という言葉は、高校のときにつるんでいた私を含めて9人の仲間のこと。こういう排他的な言葉を使うほどには親密だったのである。