従姉の帰省のついでに
1996年10月14日(月)
曇り→雨。
家にコレクトコールで電話した。あまりコレクトするなよ。拓大願書という本当の目的はすぐに済み、あと話す。東洋大学文学部の受験を現役時にはすっぽかしたことを言った。いとこの■■ちゃんは帰省してきたいう。急に帰ってきて、突然根室に行ったという。そしたらおばあちゃんが大喜びで、例によって別れは涙流して固い握手。別れるたびに二度と会えないのではないか、と思うらしい。何故か俺にも小遣いを。このあたりの界隈の孫4人(もっともうち1人はエジンバラにいるが)、おばあちゃんも幸せだ。こうして孫に会って小遣いあげて。頭も正確で、身体も衰えているとはいえ元気で。おじいちゃんも幸せな人生だったと母はいう。おばあちゃんもそうなのだろう。受かって挨拶に行かんとな。行ってHOPEなんぞふかすなよ。それよか、まだ曾孫いないよね。デカい男連中はまだまだ身を固める気配はしないし、女連中も忙しそうだ。まあ、いつどうなるか知らんけれど。●●ちゃんもエジンバラ大留学中の恋人のところへ誕生日パーティーを、とのこと有給を全て使ったとのこと。うーん、わかいねえ(俺の方かかなり若いはずだが)。飛行機にすら乗ったことのない札幌のおばさんはこれを聞いて、ロマンス小説のようだ、とのこと。えらい感心していたそうな。俺も早いところ子を為し、所帯を持ちたいものだ。子供を育てる楽しみ(と苦労)。しかしどうやつてそこまでこぎつけようか。
なんか、ここ一か月ほどたるんでいるような。今日はすごい。やること全てやっても時間あまりまくり。あまるってことはありえない。もっとテキストも深くできるし、判定もある。英単も世史もいつもできないでいた。ここでやらずしていつやるんだ、おい。ようし、やるぜ!
たとえ法政・法Bで受かって、とっとと帰っても時間は少ない。それに、たぶん中央総政Aまで受ける。帰ってどうする?本当の移動の準備だ。持っていくものを選び、残すものを大整理し、買うものも山ほど。住むところも決めるし、手続きもある。入学祝いもらったらお返ししなきゃならんのか?実務的なことだけじゃない。親戚、というか早い話おばあちゃんに顔見せるし、湖陵にもお邪魔するし、けんしろ氏宅で一杯もやる。帰ってくるかどうか知らんが他の友人ともな。まあ帰らんだろう。こんなことしなくてもいい。というかしない方がいいのだが、けんしろ氏と高校の■■先生への手紙も書く。古代の日記の編纂なんかやるヒマないだろうな。
フィルムは、パノラマ写真用ポケットリーフに入れる。写真どのぐらい持っていこうかな。全部か。TOWNSIIはどうしようか。あの大きさなら机上にあって邪魔にならないこともない(こともない)。やっぱ要らん。そうだな。高校時代の手紙・イラスト等のクリアファイル、ハガキホルダーも要るし、日記もある。『Gun誌』などの資料本も山ほど。ここ2日3日、一生懸命マンガや小説やビデオの調整していたが、とのぐらい持っていけるだろうか。いつか書斎のある家を建てたい。転勤族は嫌だ。官舎も嫌。若いうちはいいけれど、35までには家を!ああ、子供も欲しい。
総統氏にはこっちで会えないこともない。しかし他の連中は年に1度もあやしいかな。草刈部氏はいつか東京見物に来るという。無念の卒業旅行消滅の転生(?)だ。伊佐坂もか?ぜひ来てくれ。あの時代をともに生きた友人たちだ。最もすばらしい友だ。そのうちCD-Rでなんか作って送ってやるからな。
この日のカネの動き
銀行 +1,000
財布残高 1,181円
解説
おばあちゃんはことあるごとにお小遣いを孫に与えるのを悦びとしており、近所のいとこが帰省したついでにおばあちゃんを訪ねたというだけでなぜか私まで小遣いをもらっている。ありがたいことである。もちろん大学合格後は音の次にすぐさま電話連絡したし、そのときは「あの中大法科に!」という年配者ほど過大評価してくれる大学に入ったこともあり(年配者ほど侮る法政ではこうもいかなかっただろう)文字通りに泣いて喜んだという。寮を引き払ってからは根室を訪問したのも言うまでもない。
おばあちゃんは私の学部卒業直前に亡くなったが、そのころには曾孫も何人かおり、大往生であった。
これを書き起こしているのはだいぶ年数が経っているが、私のその後については家は建てていないし、妻子も擁していない。家は1〜2年で各地を転々としてきたので持ちようがなかったが、妻帯については人間関係がなかったわけではなかったが、ふと冷静になると多くの困難が予想され、そこまで踏み切る胆力がなかった。胆力がなくて時機を逸するなど、当時の若く精神力に自信があった私には想像もつかぬ話である。人間の先行きも、人間の精神や意思のありようも、もったく読めないものである。