ここ1か月ずっとそうだ
1996年10月18日(金)


 いけない。たるみすぎだ。ここ1か月ずっとそうだ。もう慣れているので、それでも最低限は終わらせられるが、最低限だ。もっと気合を入れろ。気合い入れて、長時間やってりゃ、そのうち集中できる。気合いだこんなことばかり書いているな。何もやっていなかった現役時の日記と変わらないではないか。
 まず、寝るな。寝そうなカッコウもするな。さらに目が覚める姿勢をとれ。
 次に関係ないことを考えるな。頭に浮かんでも相手にするな。現役時は自分の考えをまとめることで費やした。俺はそれでよかったと思っているが、それは浪人中には勉強のみに専心することが条件でやっていたはずだ。この日記を書く時間があれば、それでいいだろ。表をつくるのも、他人のことを批判することを書くのもな。
 それと、まあこんなものか、と何分になったらはじめよう、はよせ。できる限り、だ。

 山田氏、帰省。自宅通学。1か月以上カゼ治らず。本当にカゼなのか。とにかく療養してくれ。 


この日のカネの動き

なし

財布残高 541円


解説
 勉強は最低限のノルマをこなしてはいる。つまり授業の予習復習はこなしているということだ。授業についてだけで必死で、なんとか授業をものにしようと四苦八苦していたときから見ると、方法論を試行錯誤の上に確立し、実力も涵養されて余裕が出てきたようだ。しかし余裕が出ると余計なことばかり頭をよぎるようになり、他者への怒り、不満などを文章として書きなぐることが多くなってきた。もちろんそれはそれで心を落ち着ける効能はあり、物事を整理して考える契機にもなるのでムダではない。ムダではないが、時間は有限であり、勉強がおろそかになってはならんのであった。
 高校時代は自分自身の日記や友人たちとの往復書簡のやり取りでファイル十数冊分にもなり、文章を書くことでかなりの時間を費やした。それは高校時代が終わりに近づくにつれて、「勉強は浪人してからやる。今は、この文章を書くことが何にも優先する」と念じるようになった。そして浪人中である今これ余計なことを考えず、日記以上のことは書かず、勉強に専念するべしと言っているのである。しかしそれがなかなか容易くなかった。実際に他者と相対しないと他者の記憶への怒りが募るという私の度し難い性向、そして新たなストレス源として台頭してきた山田氏への怒りにより、怒りを書き連ねることは収まることはなかった。


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