手紙
1996年10月20日(日)
レシート
カネはそのうちまとめて入れること。後でいい。
注文表(そのうちでいい)
50円切手:適当に
80円切手:適当に
390円切手:1枚でいい
275×210mmぐらいの封筒:最低2枚
浅田飴(ニッキ):こっちで買うべきか
そのうち床屋行って写真撮るのでそのカネも頼む。床屋代は自分で出せってか?
カネばかり出させてすまんな。家にいないだけまだいいが、18超えて自分の足で立っていないこと自体異常なことだ。などと言いつつ4年半はそうさせてもらうが、そう考えたら死ぬ気でやらんとな。しかし、まあ、いかれた奴も実に多いものだ。本来なら働いている年齢になって親のカネで生活していながら、いい加減にやっている奴も山ほどいるが、そういうバカに親のカネ云々と言ったら、前近代的な封建主義みたいなことを抜かして、自由だ、束縛だと叫ぶだろうな。体制(政府であれ学校であれ)にたてつく連中も社会に依って生きていながら、ただ自分が人にものを言われたくないというだけで、それを攻撃しているよな気もする。この国(に限ったことではないが)の人間は自立の誇りがないのか。いい歳こいて親のところに転がり込んで来て、カネなどせびる奴もいるが、俺が政権を奪取したらそのへんは法令で社会主義的にやる。
俺が上からの力を拒絶すると思っているようなで言っておくが、俺はただ弱者と見られたくないだけだ。ガキのときはガキ扱いされることも嫌っていたが、それ以上に、大人がそう思ってわざとらしく(というかわざと以外の何者でもないが)1人前であるかのように接してくる方が、自分の存在も粉砕したくなるほど拒絶反応が出たものだった。自分が弱者であることを強調されたように感じた。もちろんガキは弱者だ。そんなことは当然だ。だからこそ憤った。
何日か前、同じ寮の山田氏に昼メシを喰いに行かないかと誘われた。何故昼食が用意しているのに外に行かにゃならん。それよりもカネがない。そう言ったらおごるから、と。借りは作りたくないと言ったら、山田氏は不思議そうに「野球部の連中ならおごると言ったら5〜6人は集まってきたよ」と。だからどうした。野球部みたいな団結した集団のことは知らんが、俺は他人に頼りたくない。人に背負われてメシを喰って何が楽しい。不安でさえある。やはり俺はプライドの高い人間らしい。
山田氏は文字通り虫も殺さない男で、善人なのだろうが、実に気に食わないところもある。自分の観念が当然と言わんばかり。しかし個人の観念など何一つ確かなものでもない。だからこそ、それが崩れて嘆いている。自分は冷めている、などと抜かして悲観的なだけだ。弱者だ。有名なケンカ空手の■■空手をやっていても、野球部で鬼と呼ばれていたと言っても、弱者だ。俺は弱者が嫌いだ。実に気に食わない。
しかも、頭が硬直して視野が極めて狭い。現代文でも木を見て森を見ず。くだらん接続詞やたかだか一部分の断片を見て、ここ(一部)がこうだから(全体が)こうなんじゃないかと、勝手に全体を見たつもりになっているのも気に食わない。たまにいい点とっても(平均点も上がるから)偏差値が変わらないのを見て、いちいちハラ立てるし、ああ、うるせー。
まあ好きにしろ。俺が知ったことか。たかだか1年の付き合いだ。それが彼なのだから仕方ない。
俺は狭量だが、人の人格を否定するほど狂ってはいない。同じ寮の高村氏なんかは、気に食わないことがあるとすぐに他人の人格について、「矯正しないとダメだ」と放言するが、自分が正常で相手が異常か。未熟者め。人間できてねーやつだ、と言うと、「人間出来ているとか、出来ていないとかいうのは、どういうことなんだ」と考え込む奴もいる。ガキ共め。浪人生なんて異常な立場で勉強以外のことをしているヒマがあるか!そんなことは受かってから考えろ!
解説
これは実家あての手紙である。レシートの原本が貼付されているが、コピーを取ってコピーの方を送ったのだろう。カネと物品の無心をしている。もちろん浪人生であり、勉強に専念させてもらっている以上、すべての費用は親に頼るしかないが、えらいでかい態度である。それでいて他者の未熟さを断罪するようなことを言って、自分が自立していない事実を相対化しようとして、ややもするば自分の方が自分の立場を自覚しているだけマシだと優劣関係をも見出そうとしている。
他者についての批判が半分以上を占める手紙をもらって、親としても困ったこととは思うが、ここで開陳されたような価値観を見て、姉などは「やつも大人になった」などとのたまっていたらしい。
山田氏は、人と目があっただけで被害妄想を沸騰させて暴力を示唆してくる危険人物なのだが、しかし本当の意味で虫を殺すことも嫌がる善良な面もあったらしい。