受験校、もう少し詰めてみる
1996年10月24日(木)


 久しぶりに布井氏と会った。風呂で。彼を待っていたので俺が出たときは50分!のぼせた。というより時間のムダ。寮監さんに見られてなくてかった。

 家の電話した。中学の同級生の両親が細岡の展望台にいたとのこと。みんな老け込んじゃって。ねーちゃんが急に帰省してきたので、それで行ったとのこと。俺の封書を読んで、俺が成長した、と。でも母さんだからわかった。他の人が読めば、独善的なバカによる他人への悪口の山といったところか。
 ここからなのだから、受験校、もう少し詰めてみる。法政−経営、中央−経済を入れたが、13日が開いている。日大−法は一流大全滅ならば行くけれど、もう少し日程が後ならばなあ國學院はリハーサル。まあ、日大より前に滑り止めは要らない。


この日のカネの動き

月刊誌 ブーン 

財布残高 記述なし


解説
 布井氏は話が面白く、友好関係を築いていたので、私が風呂をあがる頃合いに脱衣所に来たのを察して、雑談するためにさらに居座ったのであった。こういうひと時が憩いというものであった。時間のムダであり、狭い風呂をより混雑させる原因でもあったが。

 すでに願書が発売されており、入試日程が公表されているので、それに合わせて受験スケジュールを組み立てている。滑り止めは入学金の振込タイミングを考えると後でないと意味がないのだが、しかし入試難易度の易しい大学は早い日程の傾向があり、なかなか難しかった。2回も入学金学費もろもろで100万円を払うことはできないので、慎重になる必要があった。入学辞退をした大学への学費等の返金が裁判で訴えられ、認められたのはもっともっと後のことである。

 「一流大学が全滅したら日大」と称しているが、ここでいう「一流」とはMARCH以上のことである。後に賢しい人間たちと付き合うようになってからの感覚からは信じられないが、高校時代はこのレベルの大学が夢にさえ見ない程度の漠然とした希望であり、入ることは物理的には不可能ではないがありそうにない、つまり入れる可能性はあるが蓋然性はない、宝くじの高額当選のような存在だったのである。そして事実、現役時はかなりそれより入試難易度の易しいところにも落ちたのであった。


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