井上氏がりんごを切ったのを配ってまわる
1996年10月27日(日)


 午前中、井上氏がりんごを切ったのを配ってまわっていた。ありがたし。あとで「晴天やんの部屋、暖かかった」とのこと。ようするに307〜311号室の列は日が入るが、彼の方は日が滅多に入らんとのこと。暖房も使用しているとのことだ。ただし、こっちは眠くなる。五十嵐氏など、よく寝とる。高山氏も反省書を取られていた。俺はなんとか起き、なんとか目を覚ました。

 山田氏が帰り、千石氏が帰り、竹市氏が帰り、金田氏が帰った。なんか、違う。いや、俺はたいした交渉がない人だし。皆、いつもと同じようにやっているように見える。しかし誰それがいたら違っていただろう、と思うこともある。野球の話していたら山田氏は飛びついてくるだろう。それに食堂の空席を見て、そこにいるはずの人の顔を思い浮かべてみると、やっぱりなんかおかしい。まあ一時帰省だがね。

 五十嵐氏、寝過ごして夕メシ時までオーバーして風呂入る。始末書!要領悪いやっちゃな。それ以前に寮監なめてたかな?

 人と話すのがむずかしい。別に恥ずかしいとか自信がないというこではない。コトバが出てこない。やはり共通の話題というやつは必要だ。別に何でも話のタネなどあるのにな。やはりこれも習慣だ。話をしてもなかなか続かず。俺の方に問題があるのはわかっている。話が続くような受け答えをしていないからだ。続くような。
 別にどうでもいい。クニに帰れば友人と1日中でも話せるし、大学入ってからも人はいる。まあ、今も話を盛り上げた方がおもしろいけれど、そんなことに気合い入れることもなかろう。


この日のカネの動き

交通 地下鉄 白山⇔巣鴨 -170×2=-340

財布残高 14,475円


解説
 寮はL字型をしているので、おそらく私の部屋は南側だったので暖かかった。しかし井上氏の部屋は西か東を向いている上、建物の影になってあまり日が当たらなかったようだ。同じ季節なのに居眠りするほど暖かい部屋と暖房入れるほど寒い部屋とがあるとは、運である。それにしても、りんごを切って配って回るとは感心な心がけである。

 寮からは徐々に人が減っていったが、一時帰省のひともいれば、そのまま帰ってこないひともいた。やはり何か月かいた人がいなくなると、そんなに中がよくなくても「彼がいたらこうしたのに」などと思ったりしたようだ。

 私はまったく社交的ではなく、寡黙な方だが、それは躊躇しているわけでも自分に自信がないわけでもなく、単純にコトバが思いつかないのである。勇気を出せみたいな見当はずれのアドバイスをしてくる人もいるが、勇気ではなくコトバが思いつかないのである。これは単純にそのあたりの脳の機能が低いのか、あるいは話題を仕入れたり、何からでも話題を見出したりするインプット・アウトプットの訓練と習慣とが足りないのか、それはわからない。他方で、親しい友人とは1日中でも話していられるというのは誇張ではなく、学部時代の電話代は月に15万円を超えたこともあった。高校でも学部でも親しい人間が何人もできて、いくらでも饒舌でいられたのに、そうでないところではまったくろくに話を思いつかないのは、非常に両極端である。この欠陥は、生涯どうしようもなさそうである。


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