迫水氏、寮監寮母とケンカする
1996年10月29日(火)


 荷が届いた。ダンボール2箱。食い物と思たのか五十嵐氏、少しくれ、と。毛布に冬服。ありがたや。ティッシュも入っている。しかし猫の箱……猫の袋。捨てられない(捨てることになるけれど)。だからたまんねえ。冬服、こんなにたくさん……。ありがたいが洗濯がそんなに必要ないものが、こんなに要るだろうか?しかしどうやって着るべきか?両国にもシャレた人は山といるはず。もっと見てもよう。
 届いたことをTELしようと降りるが、尋常じゃない声がする。寮監と寮母だ。ケンカか?まずいところに来ちまった。戻ろうかと思ったが、電話ぐらい関係ないだろうと行ってみる。しまった。迫水氏がいる。景気の悪いツラして。まずいが、もう、やるしかない。電話を陰でかけて、向こうが終わってから切ったが、まずかった。
 迫水氏、昨夜PM11:00にいたところを寮母さんに。上から来なかった、どうせ他の部屋に行ってたんでしょう、行ってたからそんな言い方するんでしょう、と。言われて腹立てて2回戦とのことだ。寮監が来て、とりあえず2人とも怒って、寮生活は仲良く、人格の陶冶云々、イライラしやすい時期だから、明るくせにゃいかんぞ、と。迫水氏、極めて不本意。結局彼が悪いことになり、向こうはまったく悪くないということにされた。俺に真偽のほどはわからないが、彼が尋常でない状態になったのは確かだ。家に帰る。こんなところにいたくない、とも。しかし家に電話したのだろう。帰ったら負けを自分が悪いいと認めたことになる、と。親御さんもうまいことを。
 まあ、納得いかず、気分わるいことも、不条理なことあるだろう。ハラ立つこともあるだろう。でも、そんなにこだわるなよ。もっと柔軟に、要領よく、感情と折り合いつけてやっていけないものか。まあ人は人だ。

 雑誌が多い。気になるページを少しばかりとって、残りを捨てる。軽く薄くなった。しかしゴミ袋、透けて見えるぞ。仕方がないので布テープで団子にして、もう1枚ゴミ袋をかぶせたら、なんとか見えなくなった。
 俺がいつかものを書くときの資料とするために、できるかぎりの書物を残したい。しかしそんなこと言ってたら、資料で埋まっちまう。どんな資料があっても、やはり当時のことは当時じゃないとわからんし、自分の体験・記憶の範囲外のことはやはりわからん。必要なら図書館にでも行けばいい。まあ何とかなる。のか?するしかない。


この日のカネの動き

週刊誌 プレイボート -300

財布残高 12,152円


解説
 前日に寒くて服装に困っていたら、ちゃんと母から冬服が届いた。服を買いに行く暇もなく、ましてやどこで何を買えばいいのかもわからなかったので、これは大変助かった。金銭的にも。

 物書きについては漠然とあこがれていたので、そのために資料を集めたいという欲求があった。しかし雑多に目に入るものを集めても確かに整理はつかないし、出版されているのなら国会図書館に行けばいいのではある。しかしそれよりも、写真がまだまだ24枚撮りの銀塩フィルムで少しずつ記念写真やスナップ写真ばかり撮られるばかりで、そのときの暮らし営みのなんてことない風景はあまり撮られていなかったので、写真にもっと気を払えばよかった気がしないでもない。学部時代は、そこそこそういうなんてことのない写真を撮って正解だった。資料にするわけではないが。

 迫水氏は、たぶん寮母の勘違いか見当違いによって叱責され、それで濡れ衣に対して怒ったのだろう。寮生に反抗に対して寮母も怒った。だから激しい言い争いになったのだろう。寮監としては仲裁しつつも、寮母の勘違いだったというようなことを認めるわけにもいかず、あいまいに済ませるしかなかった。これが彼には不本意だったのだろう。それで寮を飛び出すと実家に電話したらなだめられている。若さである。
 「もっと柔軟に、要領よく、感情と折り合いつけて」暮らすことは、私もできていなかったし、今もできていないことではある。


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