うちの寮はほぼ1浪
1996年11月03日(日)


 両隣、防衛医科大学行ったから、自由だ。と言っても勉強する他ないが。寝なかったよ。ただ、AM11:00頃は、本当に「ダルい」という状態だった。何もしていられない。自分の存在自体が気に喰わないなんて高尚なものではなくて、その、神経が興奮していたのだろうか?
 それでも俺は、やった!

 アキバへ散歩へ行った。にんにく臭いラーメン食ったのでガム買って噛む。マナーわるい。でも何ひとつゴミ箱以外には捨てない。水道橋は混んでいた。俺がかつて想像していた東京だ。別に驚きも圧倒もされんが、うざったい、重いように動けない。糊の中で泳いでいる気分だ。その中でガムがノドの奥に滑り込んだ!息は通っている。よかった。でも、ノドに張り付いている。下手なことをしたら気道が完全に塞がりそうだ。思い切って、飲む、と胃へ流れていった。ガムって消化されるのか?

 アキバも人が山といるけど、たいしたものじゃない。駅に比べれば。パソコンソフト見たかったのだが、専門の店はなかなか見つからない。建物の一部として組み込まれているので目に入りにくい。何軒か寄って見た。『エヴァ』のコレクターズは山ほどあり。『H』や『リンディ』、『トップ濃縮』なども品切れになりそうもないぐらいだった。なんだ、通販するほどのこともないな。『レイアース』のスクリーンセイバーはなし。生産数が少ないのか、安いからとっとと売れちまったのか。しかし、こんなパソコンソフトの山、しかもCD-ROM、WinやMac対応の代物は、別世界のことだった。最近のやたらデータ量の多いゲームなんか、パッケージ見るだけで何でもできそうに思えてくる。そういう観念がいかにアホなものかはわかっているがな。
 PSやSSも見る。『エイリアンvsプレデター』『エレベーターアクション・リターンズ』はないか。『豪血寺2』を見つけた。なんか、創作の人物と出会ったような……。当然世の中にある、とわかっていても、実際に見る日が訪れるとは思いもしなかったというか。東京来て、芸人や有名な建物を見たときと同じ感覚だ。『豪血寺2』は釧路でも見たはずではあるが。

 宮村氏、ねーちゃんを利用し(利用された、らしい)「面会」と称して出かける。行ったのはイカすファッションの臨時の店らしい。つらかったとのこと。超ヘボく見られた、と。来ている奴は髪かやもうすさまじいのばっか、と。ナイキの風車だのなんだのと、そう言う宮村氏も詳しい。千石氏(今日戻った)もわからんことをしゃべっている。
 千石氏ら3階の「ニコチン回廊」の方々はプリクラとか言うものもやっているらしい。しかもそれは坂本氏が持って管理している、と。坂本氏、おもしろそうな人だ。高校の友人、総統にどことなく似ている?

 三浦氏、今日もいない。「メシがうまい」と人々。明日もいないらしい。不幸でもあったのか?それとも逃げたのか?いや、帰ってくるさ。奴はあれでもそれなりにやることはやろうとしているから。しかしわからん。現古切るような奴だ。数学か現文か、どっちかできないと文系学部行く意味ねーぞ。
 三浦氏は寮に火をつけて、出てきた連中を散弾銃で皆殺しとかしそう。

 岩淵氏と大学の話でも。八王子や多摩の方はひどいらしい。すさまじい田舎、と。別にいいよ。俺は北海道人だもん。でもアニメイトも遠い……いや、市の方にもあるか。受ける大学11校、もとい11回は多いか(多い。35万円)。でも彼もそのぐらい受けるらしい。俺はどこでも受かったら行く、と。2浪は嫌だ。2浪3浪は他の寮では当たり前らしい。ここは根岸氏しかいないよね。けっこう特殊な寮なのかも。人数も少ないし。6浪の人が文系でいるらしい。スーツ着て、山田氏が「KS氏か?」と。いや、彼は21才だ。でも、違うよね、俺らと。そういえば、小太りの背広の人いるよな。俺、彼は1浪2浪じゃないと思っていたんだ。きっとそうだろう。6浪ね。とんでもない世界だ。俺は決してしないがしても2浪までだ。
 よく考えたらマジメな高村氏も、ワルの巣窟農業高校出身の西内氏も、俺も岩淵氏も山田氏も、皆1浪なんだよな。やっぱわかんねーや。中からじゃあな。たぶん外からでもよくわからんだろうが。とにかく、まだまだ他人事のようだ。

 CD-ROMのアダルトコーナーやエロ同人、やっぱ違うわ。俺の行くところじゃない。欲しいとも思わん。もちろんそういう描写が織り込まれているだけのおもしろい品もあるだろうがな。


この日のカネの動き

ガム クールミント -97

財布残高 7,717円


解説
 両国では、ゴミをそのへんに捨てたりくっつけたりするからという理由で禁止されているガムだが、休日のフリータイムではたまに噛んでみることもあった。しかしたまに噛んでみるとノドの奥に滑り落ち、気道を閉塞して死ぬのではないかと煩悶しつつどうにか飲み下したりするのであった。

 秋葉原はこのときはまだ電気街であって、アニメは探せばそういう店もあると程度に過ぎなかった。パソコンゲームに関しては、郷里では電気や百貨店のごくごく狭いコーナーにわずかなソフトが並んでいた記憶しかなく、しかもその大半はFDであり、WindowsやMacintoshのアクセサリー集のCD-ROMなどというハイテク製品はさらにごくわずかしかなかった。都会に来て品ぞろえが豊富だというのもあるが、Windowsが普及しはじめる頃合いで品物がFDからCD-ROMに切り換わったばかりだった気もする。

 創作上の人物に邂逅したようだと文物の豊富さに感動しているが、単に品ぞろえがよいというだけでなく、自分がPCやゲームと縁のない生活をしていた禁欲状態だったからこそ、探し求めていた品を見つけて一層感動したのだろう。

 ちなみに当時の八王子、多摩方面は、確かにまだまだ開発途上で、後に私が住むことになる京王相模原線沿線など宅地造成が終わったばかりで建物もまばらで、小田急多摩線に至っては後に開発され、新駅はるひ野が出来るあたりもただの草原だった。この当時は新宿から中央大学方面への電車に乗ると、景色が徐々にオフィスビルからマンションになり、それがアパートや戸建てに代わり、そしてしまいには田んぼや畑が現れ、とどめにトンネルに入ることで、なかなかよい田舎具合だと思ったものだった。都会であり、かつ、田舎のたたずまいもある。過ごしやすい土地であった。

 それにしても、相変わらず三浦氏とワグナー事件を結び付けているのは悪趣味である。しかし彼への周囲からの迫害を見ると、私が加担していなかったとはいえ、彼の怒りが爆発して報復に出るのではという恐怖心も少しは抱いていたようだ。


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