手紙
1996年11月10日(日)
俺は受かる。どんなに調子がわるかろうと受かる。どこかには必ず。それにもう法政も難しいとは思わない。皆、両国に行く前に、法政「ぐらい」1年死ぬ気でやれば受かると言っていたが、その通りだ。確か法政は6大学で一番低いし(就職も)、そんなに難しい大学じゃあないのだろう。しかし、これからの3か月でどうにでもなる。伸びも落ちもする。もっとも落ちてもどこかには入れそうだが。
だから、わからなかった。11月だもんな。うまく行っていない人には絶望的な時期だということを。去年の俺も、このときには受かるなどとは思っていなかった。もっともどうするべきか考えもせず、勉強することもしていなかったが。俺は両国の新聞広告を見る前は、具体的にはどうすべきか考えてもいなかった。ただ、浪人してから死ぬ気でやれば受かる。先生が何と言おうと前例はある、とな。このへんは甘いと言われそうが、何も言えない。
両国に来てからは、法政でも早稲田でも入ってやるとやりまくり、湖陵の先生の「伸びるのは現役だけ」「偏差値XX以下の奴は浪人してもムダ」という発言(もっともこれは現役で受からせるための言葉とわかってはいるが)に実践で反証し、「(両国へ行ったら)死ぬぞ」「自由がないと人間は云々」という■■君の軟弱な発言、そして俺までも自分と同じような軟弱者と見た発言(これも奴なりの気遣いかもしれない。奴は正面からものを言えない)を破壊するために、一層気合いを入れた。感謝などしないが、■■先生と■■君とがいなかったら、もう少したるんでいたかもしれない。それでも腹の底では東洋に入ればよしとしよう、東京国際でも東京情報でも受かったら行ってやる、と思っていた。
俺はうまくいっている。時間も休み時間や電車の中でも徹底的に使い、やり方も洗練を重ねたのだから当然だ。しかし4月の古文の講座は起きていた試しがなかったにもかかわらず、かつて一問も解けなかった古文が校内模試上位者に載るようになったという恐るべき事実もある。自分でやっているのだから当然だ。しかしうまくいっていない人もいるわけだ。しかも、そっちの方が多い。
そういう人は、やっているが伸びない人、やっていないから伸びない人と様々だ。前者は本当にかわいそうだ。でも、これから伸びることもなきにしも、だ。まあムダな勉強というものもあるが。後者はどうにもならん。まだ4月だ、まだ6月だ、夏からやればいい、などと漠然と思っていたのだろうか。2浪3浪上等だ、とでも?自分の経験から言ってこういう人はたいてい先のことを考えていないのだろうな、深刻に、徹底的には。それでもこの最終模試の11月、絶望の11月になって、深刻になってきた人もいるようだ。俺に相談する奴、4人ほど。うち1人は72寮生。
手遅れだ。やればできる社会(少なくとも世界史は2〜3か月では難しい)しかしなかったり、文学史や古典単語ばかりやってもムダだ。もちろん出そうなことだけ技術的に徹底して叩けばある程度はとれる。しかしこの技術、出そうなところを見分ける目は、やっていなければ身につかない。それ以前に、数学か現代文のどちらもできず、好きでもないのなら、大学行っても大卒資格を取るだけだ。やはり根性、気迫を抜かして考えても、違う。頭脳が違うんだ。生まれついてのものはともかく、脳も訓練だ。その訓練ができていないんだ。18年分もの差は1年死にそうにやっても埋まるものではなかろう。
なんてことは寝ぼけても言えん。だから「(世界史で)出ないとは言わないが、先史は捨てろ」「死ぬほど英単語やれ」「模試の復習しろ」「もう少し下も受けろ」ぐらいしか言えない。やっぱりどうしようもないわ。1年ですさまじく変わる人もなきにしも、だが、やはり本人の性質と能力の問題だ。これは18年(あるいは19年)の環境もあろう。なんだかんだ言って生まれ育った環境の影響は絶大だ。
両国来る前はガキがタバコふかしさらしおってバカが、などと言っていたが、今度は自分が同じことをやって、いい気になっている。いや、滅多にやらんよ、タバコは。月5本ぐらいだ。しかし環境が悪いと言っても何でも環境のせいだ、とは言えない。
解説
これは、予備校や寮では大なり小なり思ってはいたが、決して口にはできなかったことである。これを手紙の形で吐き出している。同じような低得点低偏差値であっても、高校時代にろくに勉強しなかったから大学受験模試に手も足もでなかっただけで中学までは基礎力を付けてきた人間と、中学においても(下手をしたら小学においても)ろくに勉強せず授業にまったく参加してこなかった人間とでは、やはり突然勉強をはじめても同じような成果を出すのは難しい。また、多く本を読み、多く文章を書き、友人や家族とそれなりに表現豊かで意味付けの繊細な長く精緻なセリフで会話をしてきた人間と、本は読んだこともなく、字なんぞろくに書くこともなく、友人や家族とはオノマトペや1語2語の単語を連呼するだけで意思疎通してきた人間とでは、やはり18年間に渡って培ってきた言語感覚が全く異なる。これは読解力記述力の必要な現代文、英語はもちろんのこと、すべての科目に関わってくる言語能力の違いである。
これがどの程度妥当な考えかどうか、そして目の前の人間がどのように育ち言語能力をはぐくみ、学校やその他のことを学んできたのか(学んでこなかったのか)についてもわかりはしない。だが、こうした粗雑な想像に基づいて「18年間培った基礎力の差があるから、勉強しても伸びる奴と伸びない奴とがいる」と言ったところで、伸び悩む人間を傷つけ、怒らせ、悲しませるだけである。お前は18年間の積み重ねがダメだったから何をやってもダメだと言っているのだから。自分の評判も決定的に失墜する。反感も買う。殺されても仕方がない気さえする。何ひとつよいことはない。
だが、手紙文においては、抱え込んだ決して口にできないタブーを吐露しかったのだろう。特に他者との言語感覚の違いで煩悶していた当時においては言わずにはいられなかったのだろう。