十二指腸潰瘍の疑い
1996年11月11日(月)


 ハラがいてー。針喰ったみたいだ。と言って、痛い時の方が少ない。でも念のためTJ病院へ。PM02:00までアキバに寄るが、それは別記。PM02:00から診察のわりにゃ混んでるじゃねーか。渡された札は71番?仕方がねー。ここで勉強するかと思いきや、この混みようはナントカ講座らしい。けっこう積極的な病院だな。内科の患者は数人。71番といっても俺の前には数人しかいなかった。1回呼ばれたらしいがあの講座の声でわからなかった。
 問診の後、触診。それで答えが出たようだ。でも、医者も大変だよな。俺はこの答えを盲信はしない。検査をしないとな。だって患者のいいかげんな言葉だけで決めるんだもん。で、彼の答えは「十二指腸潰瘍のおそれがある」。一週間薬を出すが、痛くなったらすぐ来い、と。一週間後また行こう。潰瘍はすぐには治らない。
 寮監さんに言うと心配していた。実は寮母さんも潰瘍だという。食間に痛む。ああ、同じだ。クセになると一生続く?まあ、とっとと治そう。両国も病院の近くとはやりおるわ。まあこの東京。医者は足らんはずはないから、どっかいけば、どこにでも病院ぐらいはあるか。

 アキバの電気街の方へ行った。あいかわらず、『レイアース』のスクリーンセイバーはない。『ログイン』で通販広告探すしかないか。しっかしアニメやゲームのポスター、これだけでも胸に染み入る感動がある。でも、ちょっと俺とは違うんだよね。東京は自分でいる場所を選べる都市だ。ここは少しだけ違うような……。ホンモノのオタク様の来られるところでは?でも、同じくここにいる人たちもどうなのかはわからない。
デモ用のディスプレイ見て、シビレたぜ。音楽のすばらしいこと、スピーカーも別に備えているだけはある。それと『スーパーエアーコンバット』のでも。ゲーム画面じゃないのか。でも、すごい。映画みたいな空中戦。きっとゲーム画面もあれほどではなくともすごくのだろう。3Dガンシューティングもあったが、『バーチャコップ』を超えたリアリティ!やはりパソコンは特権階級の持ち物だ。いや、パソコンは一般的になり、時代そのものが変わっているのだ!なんという高度技術!
 来年はパソコンをぜひとも買う(てもらう)ぜ。周辺機器はまだ、よくわからないが。
 しかしPM02:00まで医者がやっておらんとは言え、不気味になってしまうぐらい自由だった。手放しの自由は怖い。PM02:00までとは決して手放しではないが、後ろめたくてたまらなかった。

 洗面所に人民服の上着を着ていった。昨日は特に人の反応がなかったが、今日は井上氏がいた。俺がそこに姿を現しただけで大笑いしてくれた。ふふふ。


この日のカネの動き

医者 TJ病院 -920
薬 -1,200
銀行 +4,000

財布残高 記述なし


解説
 食間に胃が痛むという典型的な症状である。痛いという愁訴の箇所と触診による痛みの箇所の確認で、十二指腸潰瘍との見立てである。患者の愁訴はあまりあてにならない気がするのは、自分の状態をうまく言語化できたか、それが相手に伝わったかを常に気にしているが故の心配であろう。しかしこの見立ては間違いではなかった。
 両国はわざわざ病院の近くに建てたわけではなく、東京は駅前を見回すとだいたいそのへんに大なり小なり病院があり、行こうと思えばいくらでも普段目に入っている病院が思い浮かんだ。TJ病院には他の症状でもお世話になった。

 病院の午後の診察がPM02:00からということで、秋葉原で時間をつぶしている。制約のない手放しの自由といっているが、2限の授業を終えてせいぜい2時間ちょっとである。そして両国から秋葉原まで行ってひとまわりして戻ってくるのだから、大して時間はない気もするが、しかし分単位秒単位で時間を捻出していたいつものことを思えば、あれ得ないほど膨大な自由時間だったのだろう。
 今の目でみると三角形の塊で立体を表現したアーケードの『バーチャコップ』など、リアリティとはほど遠いのだが、「『バーチャコップ』を超えたリアリティ」というからには、『バーチャコップ』もそこそこリアルだと感じていたのだろう。3Dで仮想空間を演算して描写し、視点が変わるというだけでもリアルな銃撃戦だと思っていた気はするが。そして『スーパーエアーコンバット』のデモ、ゲーム本編ではないらしいがしかしそこで描写された画面には「映画みたい」と感動している。もっと後の世では、ゲーム描写が精緻になりすぎて、映画について「ゲームみたい」と感嘆したりもする声があるので、技術の発展と人々の感覚の変化はわからんものである。

 パソコンは特権階級の持ち物と称しているが、当時の最先端のフライトシミュレーターなどをやろうとしたら、おそろしいハイスペックのマシンが必要で、それは現在の相場よりも高かった。しかし技術の進歩と普及により、徐々にコンシューマ機もハイスペック化し、パソコンも大衆機が高度化し、またゲーマー人口も増えてゲーマー用ハイスペックマシンの相場も下がっていったのである。他方でパソコンが1990年代よりも普及した反面、パソコンを持つ者と持たぬ者という格差が大きく社会生活を送る上での機会の不均衡という形で生じてくるとはまだ当時は想像もしていなかった。


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