手紙未投函
1996年11月11日(月)
公開模試で、3回連続法政B判定をとった。中央・法もC判定だ。計画通りなのだが、実際にこのような偏差値をとってみると拍子抜けしてしまうわい。もっとも旺文社の問題は簡単だから過信はできないし、気を抜けば今からでも下降するだろう。まだまだ勝負はついていない。
俺は入寮前日までほとんど何もしていなかったのだが、両国に来てからは、徹底的にやった。眠いときは立ち、電車でも、休み時間でも可能な限りやった。やり方も効率化を図り、かなり洗練してきた。だから、上がって当然だ。しかし、適当に手を抜き、寮監を出し抜くことしか考えていないような人は、そろそろ絶望的な時期になってきたようだ。
俺が急激に伸びていたもので、ずいぶんと勉強法を聞きに来る人がいる。勉強法は自分で量をこなしつつ確立してゆくものだろう。言われて身につけものではないし、第一、手遅れだ。そのように言うわけにもいかんので、一応よかれと思う方法を教えてはいるが、あんまり期待できないね。両国のカリキュラムは1年やってはじめて効果があるし、両国にいてもたるむような人に、これからそんな凄絶な勉強はできないだろう。
高校の■■君はどうしているだろうか。夏休みにけんしろ氏から少し電話で聞いただけだが、たいそうなたるみようだそうではないか。俺は高3のとき、■■君に「晴天は現実を知らない」「現実はそんなにやさしくない」「俺はキビシイ現実に直面した」「晴天は生きていけないと思う」などとコケにされた。この「キビシイ現実」とやらを知っている人間が、どうして浪人などという半端な立場で遊び呆けることができるのだろうか。
■■君はよく「退廃こそが世の真理」のようなことを口にしていた。俺がこれを否定したら、俺を「現実を知らぬ、幸せな世間知らずのぼっちゃく」のように考えるようになったみたいだ。■■君は自分の「現実」認識、つまり人生観・世界観といった観念を普遍的な、万人にとって当然のものと考えていたのだろう。だが、観念は所詮、観念だ。「現実」そのものを認識しているわけではない。だから、自分の抱く観念が覆されるようなこともあろう。きっと■■君はその瞬間を「キビシイ現実に直面した」と呼んだのだろう。■■君は自分の認識が「現実」と一致しないことをたいそう悲観したに違いない。そして■■君は、修正した観念をまた当然の前提、「現実」そのもの、として悲観的に世を見るようになったのだろう。
■■君は「現実」のわずかな一部に触れただけで、「現実」を知った気になっている。抽象化によって成立する観念を絶対視している。それに同意しない人間は■■君にとっては「世間知らず」なのだろう。意味におぼれて、「相対」という言葉を知らないらしいな。
解説
途中で筆をおいているが、またしても高校時代の友人からの気に食わないコトバ、気に食わない態度について批判している。さすがに途中でこれは人に出すべきものではないと正気に返ったようで、途中で終わっている。出さなくて本当によかった。ただ、他者が自分に抱いているであろう不当なステレオタイプを破壊したい、結果が出ないと奴の思うとおりの弱者だということになる、という怒りと恐怖とが勉強する習慣のまったくなかった私をどうにか机に向かわせ、机から離れないよう踏みとどまらせる原動力になったのは確かだ。若者らしい稚気がよい方向に働いたのである。