「毛髪力」を使っている
1996年11月16日(土)
誕生日らしい。昨日も実感はないと思っていたような気もするし、今日も学校に着くまで忘れていた。誕生日というやつは、事務上の問題を別にすれば、意味においてのみ存在する。ようするに儀式だ。だからそれを裏付けるものがないとあまり「意味がない」。いや、友人を呼びケーキにわざとらしく19本立ったロウソクを吹き消し、プレゼントなどをいただいても、そんなに「意味のある」ことなのだろうか。儀式というか、行事そのものが「意味のある」もので、歳を喰う日ということに関して意味はあるのだろうか?まあいいや。進学論争はよそう。
来年は20才か。20!他人事の年齢だよな。もう高校出ているから、何でもして当然、何があっても当然の世界に入っている。大したことではあるまい。タバコ、酒、競馬、すべてやった。パチンコはやっていないが必要ない。
風呂で聞いた話。本田氏、「毛髪力」を使っている。藤田氏、「僕のはプロフェッショナル用だからね」と。市販されているものなど置いていない店で買ったという。そんなに気になるか。中二から気にしていて、東京行ったらアートネイチャーと決めていた、と。明日行くとか言ってたな。
この日のカネの動き
なし
財布残高 3,013円
解説
誕生日について、誰に言ったわけでもなく、当然他者が認識しているわけでもなく、自分のみがそういえばと思い、ただ普通の日として過ぎている。学部に入ってからは、誕生日を盛大に祝い、ある程度のルールの下でゴミを送り合うという奇習もあって、学部5年間は大層盛り上がりなどした。それを思うと、この1年は本当ちょうど幕間、修行の年であった。
18才からは「当然の世界」というのは、「18才未満」というくびきから外れて、カネさえあれば様々な役務財貨にアクセスできるということであり、また、児童生徒としての保護も同時に外れるということである。もちろん予備校時代においては完璧に親がかりで、外界から隔絶された安全な予備校で安定した暮らしを営んでいたのだが、それでも18才の境界を超えたことには過大な意味を感じ取っていた。大学に行ってからも親がかりで安定した暮らしをしていたのは大して変わらないのではあり、世の中へ出ていっぱしになりはじめたのは遅く、イッパシには未だになっていないのではあるが、
髪の毛が気になり始める年頃である。親がハゲていると早いうちから気になり対策もしたくなる。実は私も予備校時代からなにがしかのものは使っていた。何か意味があったのかどうかはわからない。何かしている、何かした、という気持ちになることが大切なのだろう。