寮監室に本の山
1996年11月30日(土)
と、いうものを書いた。結局郵送しないが、これでもう山田氏のことを悪くいうな。人には決して彼のことを悪くいうな。自分でも悪く思うな。これで終わりだ。
風呂でシャワー中、後にいた人に、さっきから水かかってるんだけれど、と。すんません。気が付かなかった。誰だろ。見えない。藤田氏か?なんにせよ、ちょっと気ィつけんとな。
金城氏帰寮、斉藤氏帰寮。これであらかた寮に人がもどった。山田氏と本田氏の帰寮でだいたい揃うだろう。謎の数日でいなくなった人物と自宅通学の崎元氏、布井氏の2人を除いて。なんと!だいたいいるな。急に人口が増えおった。結局、皆、帰ってきました!
今日はこの手紙文で寮における勉強を一切せず。バカ者め!今の俺に勉強より優先することがあるのか!3日連続たるんできているぞ。明日は完全にやることをこなせ!いいな!
手入れが入ったわけではないが、寮監さんがちょいと点検したらしい。寮監室に本の山。佐々木氏、林氏、西内氏、根岸氏、藤田氏、五十嵐氏、堀部氏、高山氏の呼び出しが。なるほど。このメンバーか。五十嵐氏よ、あんた、本で反省書をとられたのははじめてだよな。不用心だなー。
自分がとられたのかどうかわからない、自分が何持っているのかわからない。こういう人もいる。というか、多そうだ。しっかり管理してくれよ。
この日のカネの動き
なし
財布残高 記述なし
解説
山田氏に対する怒りと不快感のあまり、手紙分をかきつらねるのに白熱して、寮における勉強がまったくできなかったようだ。しかしそうしないと何も手につかず、必要な儀式だったのだろう。翌日から12月ということで、なんだかんだと理由をつけて田舎に帰ったり、自宅通学に切り替えたりしていた人々も寮に戻ってきたようだ。最後の総仕上げ特訓から授業を受けたいのか、単に東京の受験拠点として寮にいた方かいいという考えなのかはわからないが。定数33人の寮が26〜27人に減っていただけでもさびしく感じていたあたり、寮生をなんだかんだといっても戦友だと思っていたのがうかがえる。仲のよく話も合う布井氏がこのあたりで登場しないのは自宅通学に切り替えたせいである。山田氏も自宅通学に切り替えていたが、同じ私立文系ということで接触が多かった。