手紙未投函
1996年11月30日(土)
83寮、■■氏。奴は気×××だ。もちろん精神医学的な異常者ではなかろうが、そう思えてならない。
まず、奴は思い込みがはげしい。奴は自室で経文を唱えている。そんなことはどうでもよいが、そんなことをすれば聞こえている人間はどう思うか?それで、周囲の部屋の人間に変だの宗教マニアだのと言われたせしい。だが、奴は変だと他人に思われている(と自分が思っている)ことに腹が立って仕方がないらしい。だったら、変と思われそうなことをするなよ。ニューサイエンスやUFOも好きで、水晶枕などあやしげな商品も好きらしい。そんなようなことを言われても、俺は何と答えていいかわからない。俺は適当に笑って返すほど軽薄ではない。そうしていると、奴は「別に宗教じゃないよ」と取ってつけたように言う。そして「俺のことを変だと思っているんじゃないのか」とも。俺がどんな表情をしていたのかは知らない。せいぜいどう答えればいいか困っていただけだ。しかしなんという短絡か。俺は奴のことなど(そのときは)変とも何とも思っちゃいない。
こんなことを何十回もやっているうちに、俺は奴が上等な布地のハチマキをしているところに出くわした。奴はハチマキを締める格好のまま停止していた。そのとき奴は、日常の奴からは想像もできないほど恐ろしい形相をしていた。「鬼」と表現しても過言ではない。間が持たないので手を挙げて挨拶をしてみようとした。そうしたら、奴はゆっくりと動いてこちらへ歩み寄り、左手で俺のナイフケース(作業用だから武器にはならない)を抑えて、ごく顔を近づけてきてこう言った。「今、宗教マニアだと思ったろ」と。奴の口は俺の顔の10センチ前のあった。風邪がうつるだろうが、ボケ。そして奴の姿勢が攻撃をするためのものだということもわかった。俺に対して斜めに立ち、腰は落ちていた。その気になれば俺のタマを即座に潰せる状態だ。俺はただ、「乱暴だ」と言った。そうしたら奴は後ろを振り向き、「宗教なんて家のことだから仕方がない云々」といじけたように言っていた。俺に言っているのだろうが、奴は自分の外に向けて言っているようには見えなかった。俺はこのときはじめて思った。奴は変だ、と。
次に、奴はあまりにも偏狭だ。奴はどうも自分の世界観、価値観、人生観のごとき観念が、万人共通、普遍的で、他に在り様がない当然のものだと思っているようだ。違う、「思って」などいない。それが「思う」以前の前提なのたろう。奴は強豪野球高校出身で、小2のときからずっと野球しかやっていないという。俺がスポーツに興味がないと言ったら、しばらくしてから「スポーツやってなくて何が楽しいの」と放言した。奴には悪気などなかろう。本当に理解できないことだから、そう口にしたのだろう。だが、俺は極めて不愉快だ。バカにされた方がまだ、マシだ。奴の不思議で仕方がないと言いたげなあの口ぶり。俺のことなど理解しなくてもどうでもいいが、自分と他人とが異なるということそのものを理解できない。違うことが当然として受け止められない。なんて狭い精神だ。
俺は、(そこは階段だったので)叩き落としてやろうかと思った。実際にそんなことをするわけはないが、言葉の上でも慎重に返事をした。「スポーツなどは、人間の文化の一部分にすぎない」と。そうしたら、奴は「そういうこと言うの」と、俺がいかにも非道いことを言ったかのように被害者意識を表した。しかし、彼は自分が何を言ったのかわかっていないらしいな。スポーツは、人間にとって重要な行いなのかもしれない。だが、それが人間のすべてか。やっていない人間の暮らし営みに喜びがなく、やっていない人間の人生に価値がない。そう言ったのにも等しいんだぞ。だから俺は人間にはスポーツ以外にも営みがある。スポーツだけが喜びでもなければ、他の営みにも価値がある。そう言ったんだ。当然のことだ。当たり前のことだ。営みの違いなんかあって当然。人は人だ。違いがあることなどどうでもいいことだし、どんな奴も当然存在する。自分と違うことをいちいち不思議に思ったり、自分と同じようにしないこと人間の営みを否定したりする必要があるのか!
奴はわけのわからない行動をとる。人の部屋に突然上がり込んできて引き出しを開けたり、突然ドアを開け放ったり。これは奴なりの冗談なのだとは思う。コミュニケーションの糸口を求めての行動だろう。他にも、自分の父と母とが仲が悪い、俺は本当の子供じゃない、などと突然言いだす。しかし、ウソなんだ。奴は何か言わないではいられないのか。奴曰く、野球部ではいかに人を笑わせるかばかりやってて、バカなことばかり思いつくまま口にしてきたが、野球部以外の人は真に受ける、と。奴は言葉や行動の意味をなめている。発信者の意図通りに受け手が解釈することなんかは、まずなかろう。野球部がどんなところか知らないが、外との違いがわからないらしい。いつぞやもフリータイム前の昼食で「1時に俺の部屋に来て」などと言われる。そんなこと言われて、わかったと返事をしたら、それは行くだろうが。それは約束というものだ。しかし実際に奴の部屋を訪ねたら、奴の反応はこうだ。「やっぱり信じちゃうんだ」と。俺を理解しあぐねいているように。言葉をなめてんじゃねーぞ。野球部の中では知らん。しかし野球部の人では言葉に責任を持て。そのうち重大なトラブルが発生する。言葉をただその場のデマカセとしてしか扱わない人間が、果たして社会人になれるのか。
さらに、大河ドラマを観ていたかと聞くと、それは言っちゃいけないよ、と。何かわるいことを言ったか、俺は。歴史に関心があると、すぐにそう言われるとのこと。しかも、ボンクラ高校においては、歴史に興味があるという段で「変わった奴」として扱われ、「変わった奴はこういう番組を見るんだろう」と嘲笑するように言われていたとかなんとか。そんな文脈を俺が知るか。過敏になりすぎているぞ。話はこれで終わらない。俺は『信長』が好きだと言ったら(本当は『花の乱』の方が好きだが出てこなかった)、ひどく驚いていた。『信長』は観ていてムカツク、自分の知っている歴史とは違う、作りすぎている、と。だからどうした。あんなものはフィクションじゃねえか。自分が嫌うのはどうでもいいが、なぜ自分が好みを共有していないことに驚く。何故自分の嫌いなものを人が好きというだけで驚く。何故自分の好みこそが当然で、他人もそうあるに違いないと思う。また、歴史の話で「世界史ではイスラム史が好きだ」と言ったら、また驚きおった。何故そんなに驚くのか効いたら、「イスラム史はつまらなかったから」と。誰もあんたの感想なんか聞いていないんだよ。それに興味がないならまだし、特定地域の歴史についてつまらないとはなんだ。イランの革命評議会に電話するぞ。
奴は人と自分が違うという当然のことを、当然と受け止められないらしい。奴は自分で言っていた。「野球部は同じでなくちゃいけない。自分が違うことは認められない」と。そして奴は副キャプテンとしてその指導に当たっていたとも。奴が差異に対していちいち驚いたり、執拗に何故と「ありえない」と同義の質問をしてきたのするたびに、「人それぞれだ」「人は人だ」と俺は再三再四言っている。だから、奴も何かあると思い出したように「『人それぞれ』だもんね」と口にするか、何もわかっていない。この言葉を言えばお前は満足するんだろう、俺はまったく同意していないが、お前が喜ぶならそう言ってやるといわんばかりの、「人それぞれ」の部分だけ高い音程の奇怪な口調で言ってくる。まあ万人が同質で、差異が存在するとさえ認識できない精神構造はそうそう変わるものではない。それが彼なんだから仕方があるまい。
何度も書くが、奴は自分しか見えていない。「今日、やる?」と突然言われたら何を連想する?奴はこれで「今日、寮に帰ったら、明日の各種テストのために英文解釈の勉強をやるか?」と言っているつもりなのだ。別にそういう話をしていたわけではなく、唐突にだ。奴はとにかく思いついたそばから思いついたことを突然口にする。話の最中に、自分が見ているものについて突然話だす。俺は見ていないんだよ。大きな音がしたとか、進行方向目の前にあるとかでもない。単に時分が見た遠くのもの、かなり大きく首を曲げないと見えない横のものについて、突然何の前置きもなく話されてわかるわけがない。
奴は■■なるケンカ空手をやっている。なかなか実戦本意で、本当に人間が倒れるまで打つとも聞くし、試合では使わせないが金的などタブーの必殺技術も積極的に教えているらしい。そんな自慢話ぐらい聞いてやってもいい。自分の強さを喧伝するのも、まあいいだろう。■■空手をやったら人生観が変わる、世界が違うというのも、抽象的すぎてよくわからんが、それもまあいいだろう。しかし、「俺がキレたら晴天をぶっ殺しちまうよ」とは何?自分が強いと喧伝したいのか。単に自分がその気になったら俺を殺すことも可能だという、腕のついての認識を述べただけか。そこまでもまだいい。一線を越えたのは次だ。「俺はヤバイ人間だから自分を抑えている。キレたら何をするかわからない。だから晴天にやさしくしている」と。これはわかりやすく言い直すと、「俺はお前に腹を立てているが自分を抑えてお前を殺さないでやっている」と言いたいのか?自分だけが腹を立てていると思うなよ。それにどれほど腕が立つか知らんが、目に砂が入ったら?凶器や人数を動員したら?それに誰でも水を飲むし、メシも食う。俺でも手に入る程度の異物を混入させることは容易なことだ。そして誰でも寝る。空気も吸う。背中もある。何せ1日中一緒なんだから、腕に自信があろうが、後先考えずにその気になった人間から身を守ることは不可能だ。あんまり人をなめるんじゃない。自分が「強い」と思って図に乗っているが、そんなに簡単なものではない。自分がどうなろうが帰り道を一切考えず、必ず殺すの執念を先に持った人間は度し難い。あの無敵・力道山もシケたケンカで命を落としたなんの訓練も受けていない平凡な人間が人間を殺すことぐらいめずらしいことではない。もう一度いう。他人をあまりなめるな。
そして「やさしい」とは何?俺は「本当のやさしさ」はどう、「見せかけのやさしさ」はどう、というくだらん神学論争をするわけではないが、奴のいう「やさしい」という言葉が気持ち悪い。自分の考えとは異なることを言うのに、平穏に対応したから「やさしい」のか?俺と話をしてやっているから「やさしい」のか?俺を殴らないから「やさしい」のか?俺が願書を探しているときに頼んでもいないのに探したから「やさしい」のか?必要もないのに「返さないならそれでいいから」とカネを貸そうとしたから「やさしい」のか?俺に迷惑をかけたときに取ってつけたように「ごめんね」と謝ってみせるから「やさしい」のか?俺を殺さないで生かしておいてやっているから「やさしい」のか?奴が俺に「やさしく」してやっているつもりならば、勝手にそう思っていてくれ。だが、女々しい奴だ。さらだ、世間話として俺が十二指腸潰瘍になったと言ったら、「俺がこんなにやさしくやっているのに、なんで病気になるんだ」と不満げに言いやがった。お前のせいだ。それを自覚していないとしても、自分がやさしくしてやっているから病気なるわけないとか他人はすべて自分の思い通りにあるべきか。女々しい奴だ。
奴は軟弱者だ。「やさしさ」の話はもちろん、異性を愛することはどういうことだ、こうでないと人生に迷う、メロスのような友が欲しい、などとくだらんとは言わんが、いちいち大仰な奴だ。それに唯一かつ明確な答えを欲してたまらないようだ。好きな考え、好きに生きろ。だが、そんなに意味が必要か。目的が必要か。答えが必要か。自分で勝手に大仰なことを言い始めて、ひとりで勝手に涙目になるんじゃない。俺にどうしてほしいんだ。
そして奴は悲観的だ。奴は自分が廃人だとほざく。小2から野球しかしていない。野球が終わった。これからどうしていこうか。今まで何をやってきたのだろうか、てな。今までについてはその時その時充実していたなら、それでいいだろう。いちいち大仰に意味を求める奴だ。だからこそ、「スポーツなんて人間の文化の一部分に過ぎない」と言われたら、えらく消沈したんだな。しかし奴は「自分好き?」などとも聞いてくる。俺はいつでも自分が好きだ。人と人とのつながりや交流にこそ価値が云々、だから人は他人に(よくわからん)を求める、と涙声と言いおることもあった。アホらしい。俺にどうしろというんだ。俺にとって意味などどうでもいい。人間は炭素をベースとした有機体で、それが生きようと死のうと、どう社会を構成しようと、それがまず大前提の状態だ。それについての意味、それがどうあるべきかという規範は後付けのものだ。もちろん俺には俺の意味や観念がある。しかしそれが普遍的なものだとは思っていないし、絶対的なものだとも思っていない。自分が人や世界に対して抱く観念にも固執しない。
俺は楽天的なんだよ。何かあっても多少の感情の高ぶりはあっても、すべて受け入れる。東京国際大学しか入れなくてもそれはそれで仕方がないし、父がぶっ倒れて急に働くことになっても仕方がない。受け入れる。あきらめ、という否定的な話ではない。俺はいつでも自分のその時の境遇に満足していると、受け入れているだけだ。いままでも、これからも。あきらめているのならば、両国に来て法政を目指したりしない。そして俺は明確な理想を持っていない。持っているとしたら「理想を持たない」というぐらいだ。「こうすればいい」「こうすればいい」などという言いようもよく聞くが、世の中はそんなに簡単ではない。どこかが変われば、他に影響しあって思いがけないい効果が生じてすべて変わる。理想的な思える法律を制定しても、あちらこちらで利害が絡み合って、結局万人にとって「よい」結果にはならないよいに。
だが、悲観的な人間には楽観的な人間は「甘い」と見えるらしい。「現実」を知らないと見えるらしい(そして自分か「汚い」あるいは「厳しい」現実、つまり「真理」を知っている、と思うらしい)。不愉快なんだよ。
大脳の研究者のY氏によると、胎児の段階で外から受ける刺激によって中枢神経の構造がある程度決まり、それはかわらないという。そして遺伝子による情報もその基礎となる。
犯罪心理学者のF氏によると、生まれてからの環境が精神の構造を決め、早いほど強烈な影響となり、変わることがほとんど不可能となるという。
つまり人が多様なのは当然のことで、受け入れるか、受け流して看過するかするしかないのだ。問題のある人間がいるのも当然のことであ。
書きたいことを書いただけだ。■■のバカのことは最初の方で書いたきり忘れてしまった。
雑な文、小論文なら5行読んだだけで×だ。大学の採点はすさまじく雑らしい。だから模試でいい点をとっても、入試で取れるとは限らない。〇か×か、部分点なし。実質的に当たっていても、大学側の模範答えと違うから×……そういうこともある。だから、山ほど受ける。
ここ数日で、寮から家に帰っていた連中も、寮に帰ってきた。3日でいなくなった奴と、自宅通学の2人を残して、全員もどった。一時は26〜27人にまで減ったのに。
来年はパソコンでワープロソフトを走らせて、インクジェットプリンターで印刷だ。
解説
山田氏の特異な言動や不幸な行き違いについて、あまりにも鬱憤が溜まっていたので他者に吐き出すつもりで書きつけた手紙分である。これも未投函である。こうして吐きださなければやっていられなかった。途中で関係ないことに話が走っているのは、関係のない人間のひっかかっていた言葉を連想して怒りはじめるという、よくあるやつである。
だいたい日記本文で書いたことと同じ内容だが、注目するべきことは、「野球部ではいかに人を笑わせるかばかりやってて、バカなことばかり思いつくまま口にしてきたが、野球部以外の人は真に受ける」というくだりだ。彼のいう野球部は、同質性、斉一性が極端に強く、それゆえ阿吽の呼吸で冗談かそうでないかの言語外のシグナルが通じたのだろう。しかし「野球部以外の人は真に受ける」と彼は言う。つまり、シャバの人間は山田氏らが無意識でやっていたような言語外のシグナルを察知できないのだ。だから、言葉の通りに受け止められるというのが不思議だという。山田氏が私に対して放言した、親が離婚しそうだとか、自分が不義の子だとか、重い話を突然はじめるのも野球部では寸劇につながる日常の茶番の導入のつもりだったのだろう。また、私に対して、待ち合わせのようなことを言っておいて、実際に部屋に来たらびっくりしたのも、やはり何かの冗談だったのだろう。このことについて、「やはり信じちゃうんだ」と山田氏が自分の言葉に対して、他者が言葉の通りにとりあえず受け止めることに驚き、言葉どおり受け取ることを何かの欠陥のように捉えたのは、やはり彼がノンバーバルコミュニケーションにかなり依存している自覚がないこと、ノンバーバルコミュニケーションをシャバの人間とは共有していないと認識していなかったことが、悲劇であった。
ちなみに山田氏は、寮の食事では同じテーブルだったが、しかしテーブルで雑談をしているときに話が全然が噛み合わず頓珍漢なことをいって、田山氏に「君はおもしろい人だね」といなされ、五十嵐氏から「視野の狭い人間だ」と不満を言われなどしていたので、別に私とだけうまくいかなかったわけでもなかった。こんな山田氏だが、今頃は世の中にもまれてどんな人間になっているのだろうか。