手紙
1996年12月01日(日)


(1996/11/30ごろの手紙の続き)

おそらく悲観的な奴は自分勝手な期待を持ち、自分の観念を当然かつ普遍的なものと捉え、自分の世界認識が世界そのものと一致していると無意識に思考するような人間なのだろう。そして自分の意にそぐわないことがあると急激に不安定になり、「裏切られた」「厳しい」「汚い」などと思うのだろう。現実を目の前にして現実を現前たる当然のものと捉えられない。くだらん意味を与え、くだらん感情を持つ。悲観的な奴は自分の思い通りにならないと機嫌がわるくなるわがままなガキの同類だ。
自分で「〜は甘くない」「『現実』は厳しい」「汚い」「甘い」などと自分が「現実」を見極めたかのように、何もかも価値を否定するようにほざくバカは、実際には「夢」「希望」「友情」「愛」のような代物を神格し、過度の、いや、妄信的な期待をしているのではないか。少なくとも■■はそうだ。
 ブラックホールが異次元とつながっているかも云々というので、「あれは穴ではなくてただの高重力の天体だ。もし穴だとしても潮汐作用で分解してしまう」と返したら、「そんなこと言ったら夢がない」と。アホか。俺はてっきり宇宙の、自然科学の話をしているかと思って、自分の知識で返したのだ。しかしなんだ、与太話だったのか。俺も与太話は嫌いじゃない。与太話なら与太話氏だという前提で話せ。マジメくさって天体の話をはじめるからマジメくさって天体の話で返したまでだ。空想など好きなようにすればいい。他人なんか関係ない。空想ならば科学法則を気にする必要さえない。
 また、ある時は「UFO信じる?」と聞かれた。これは意味がわからない質問だ。「Unidentified flying object(=未確認飛行物体)を信じる」とはまったく意味不明だ。なんかの新興宗教か。■■の言う「UFO」とは、それを宇宙人の乗り物という意味に限定し、さらには宇宙人が存在しており、そして宇宙人が地球への飛来しているという意味まで含めた言葉だということはわかる。しかし「信じる」とは何?「信用する」じゃあるまい。きっとbelieveではなくbelieve in、すまわち「存在を信じる」ということだろう。しかしあいにく、俺は「信じる(逆に「信じない」も)」という偏狭な思考ができないものでな。俺は何が存在するとかしないとか基本的にどうでもいいんだ。確信など必要ないんだ。むしろ確信することを忌避しているんだ。何かを言うときは便宜上意味を絞り込むが、俺はそんな狭い見方に執着なんぞしない。第一、どうやって観測したこともないものについて信じるんだ?(もっとも俺は自分が見たり聞いたりする感覚やその記憶さえも信用してはいないが)。なんにせよ、「信じるかどうか」という右か左か、all or nothingのくだらん質問をするんじゃない。便宜上、二者択一も必要だが、奴は本当にyesかnoしか見えていないようだった。
 このくだらない質問に対してまともに取り合うのもバカらしい。「信じる」とも「信じない」とも答えたくない。そういう頭の悪い回答をしたくもない。「考えたこともない」とテキトウに答えたら、「今、考えて」と。やっぱ、こいつわがままなガキだ。そもそも質問を拒絶されていることがわからないのか。そして「晴天君にUFOのこと信じさせたい」と、本当に切望しているようにほざく。こいつは頭脳硬直、視野狭窄、自己中心、自己完結のクソ野郎だな。まったく不愉快だ。
 ついでに模試に一喜一憂するんじゃない。一度政経の偏70台で、次に50台になって落ち込みやがった。社会なんぞ、出題範囲によって自分の得手不得手が現れやすく、乱高下するものだろう。ついでに社会でいい偏差値とって全体の偏差値を多少上げても意味がない。英語と国語、特に英語を中心に考えろ。ついでにいい偏差値とったからと図に乗って勉強をやらない、悪い偏差値取ったらこの世の終わりのごとく落ち込みムリな勉強をはじめるとは、感情の起伏が異常に激しく、また、感情に支配された奴だ。さらに、人に抜かれて腹を立てるな。悔しいのならばまだわかるが、腹を立てるな。相手の方が優秀だった、あるいはより効果的な努力した、または運がよかった。自分の方がアホだった、効果的な努力をしなかった、運が悪かった。ただそれだけのことだろう。腹を立てる理由がどこにある。自分の結果に不満があるとしたらそれは自分にしか責任はない。他人などどうでもいい話だ。
 そして、液体洗剤を使うときに、ななめに目盛りを見るな!それで量がわかるのか!これ見たときは、本当にこいつはバカだと思ったよ。本当に自己完結していやがる。自分では正しく使っているつもりなんだろうが、わかんねーとは本当にバカだ。こんな奴に現代文が解けるはずがない。大学行っても勉強になるまい。


▲山田氏の液体洗剤の目盛りの読み方。


解説
 山田氏は本当にバカであった。後にわかることだが、彼は地図も読めなかった。描かれている道と省略して描かれていない道とも言えない通路との区別が出来ず、受験大学にたどり着くに著しい困難をきたした。 こうした愚かさに私は腹を立てている。美しくないことではある。


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