奥の方へ針が侵入していく感覚
1996年12月02日(月)


 内科へ。TJ病院。まだ痛いと言ったら胃カメラ飲んでもらう、と。次の月曜?いや、UD先生の講義をフケるなんてとんでもない。火曜日にした。しまった。火曜日はTC大先生のスーパー古文だが仕方がない。うまくすれば、出られる?AM09:00に来て、AM10:05に間に合うか?そんなに簡単か?まあ仕方がない。
 感染症予防のために血液を採ってウィルスを調べると。掌を上に向けて右腕を強く伸ばし、親指を握りしめる。動脈がわかったらしい。注射を刺す。ちと痛いが、たいしたことではない。痛みそのものよりも、体験したことのない奥の方へ針が侵入していく感覚の方がおそろしかった。大したことではないけれども。
 血が天地逆にしたように注射器に流れ込んでいく。俺の内部も精巧な人体として、よくできているらしい。試験管1本満たすのに瞬き数回分しかかからなかった。血を見るのはどうでもいい。不思議ではあったが。それよりも血を抜かれていくという感覚。力が抜けていくようでむずがゆし。身体のそこから笑いが込み上げてきた。どういうメカニズムだ?針を抜くとき、やっぱり痛みはあった。痛みの度合いではなく、体験したことのない部分の痛みというのが落ち着いてかられなかった。
 俺は何があっても受け入れるというが、このぐらいのことでも未知の体験に驚いているのだから、手術や大けがをしたらどうなるのだろうか?

 今日の勉強時間2時間か!寮での勉強、これがリミットだ。


この日のカネの動き

医者 内科 -3,200
薬 -2,990
マンガ 平和への弾痕 -250
マンガ 白バイファイター夢之丞変化 -250

財布残高 記述なし


解説
 採血は、その後健康診断や大小の疾病に際して何度も行っているので、もはやめずらしいものでもなんでもないが、しかしそのときは針が内部に刺さっていく感覚とそれが引き抜かれる感覚、そして血がわずかとはいえ抜かれていく感覚が新鮮だったようである。血を抜かれて愉快な気持ちになっていくというのは、図書館に瀉血壺が置かれて、たばこを一服するような感覚で瀉血が行われていた話を思わせる。

 寮での勉強時間が2時間だったということを「リミット」と称しているのは、これが下限だということだろうか。 


戻る