明日が休日のように感じる
1996年12月09日(月)
今日、英解釈熟睡。かつてないぞここまでとは!
現文はいつもどおり気合いだ!というか眠くない。ようするに役に立つ授業だからだ。でも役に立たない授業なんてないよ。ただ、俺の感じ方の問題がある。
PM07:00まで勉強せず、PM08:30ぐらいまで寝る。サイテー。楽なことはすぐに定着する。再び気合いを入れるには、かなりの意地と根性とが要る!明日から見ていろ!まず、AM06:00に起きてツラを洗ってみせる!
明日胃カメラやるけれど、何とも思わない。ただ、明日が休日のように感じる。
家に電話。あの手紙、言っていることはまあその通りで、的を得ているのを通り越して痛快だそうだ。やはり俺の文はいかすぜ。家族だからそう言ってやっているのかもしれんが、100%のウソでもあるまい。
この日のカネの動き
銀行 +10,000
パソコンソフト まるごと飛べ!イサミ -3,079
CD アニメタル -1,100
くいもの やきおにぎり2個 記入なし
くいもの いなりずし 記入なし
水 -200
タバコ ホープ -240
財布残高 記述なし
解説
夏休み終了後はどうも授業で居眠りする頻度が増して、寮でもたるみがちで、さらには小遣い帳は残額の記入さえしなくなってきた。なかなか気がゆるんでいることがうかがえる。
眠気が起きない現代文は、通称東大クラスということで、もともとそれまでの読書経験や自分なりの文章作成経験の蓄積から「何もしなくても現代文が出来た」という連中が集まり、それがさらに出来るようになる刺激的なクラスだった。これは試験対策というより(そういう細かい技術もあるにはあったが)、日本語と論理の授業だった。そして大学事情に関する雑談、受験動向の談話、そして相談も刺激的だった。刺激的だと目が冴えるものではある。もっとも他の授業が刺激的できなかったとしても、勉強は基本的に地味で堅実に重ねるものであり、寝たら損なのは確かであった。KGBに見つからなかったようだが、しかしそういう緊張感があるにはあるので起きようとは試みるところも、両国のよいところではあった。
翌日は胃カメラだが、特に大事とはとらえていない。ただ時間が出来て、また店のひやかしを出来るぐらいに考えている。