胃カメラ代替機
1996年12月10日(火)


 今日は胃カメラの日。何てことなく起きる。いつもと変わらん。朝礼だけ出る。メシは盆すら持ってこない。「晴天君、食わないの?」と田山氏。今日は食えない事情がある。胃の検査。田山氏「晴天君、胃をやられたのか」と。勉強や受験のせいじゃないよ。

 メシ喰わずに上がる。人々が食事中の無人の空間。なんか別世界みたい。でも10分もするといつも通り。念入りにツラを洗い、英単でもやる。AM09:00からだから、早すぎるがAM07:00に出る。こんな遅い時間はじめてだ。でも、3Fは真っ赤だった。高村氏や井上氏も含めて。

 水道橋。切り取ったあとにK氏の手紙。イラストもある。彼、滅多に描かないけれど、イラストもやるんだったな。この紙、もう取り換えられるから欲しかった絵を切り取っている、と。そうか、頃合いを見て切って持って帰っているのか!
 ■■教のしつこい書き込みに対して、似た文字を「禍」に改変したり、「by国連」に「国際連盟か?」などと。なるほど。皆、反感を募らせているのか。

 両国、ヒマだ。ジュースもタバコもダメ。サ店に入り浸ることもできん。コンビニもう混んでいる(林氏がいたけれど、AM08:22……間に合うのか?)。仕方がない。駅のベンチで単語。3分ごとに総武線が来る。上りは身を車内に喰い込ませてのっている。すげー。これがラッシュか。
 ついに医者へ。大した気は何もしない。ただ、部屋に呼ばれていく。薬を飲み、注射をされた。そして、ねる!

 俺の手の親指よりも太いファイバー(というよりゴムホースだ)……。なんてこったい。わかってはいた。ここの設備、古そうだもの。でも、なんとか入るんだろう。
 さて、入れられた。ノドまで入って大変だ。息ができん。ノドを通らん。何かが込み上げ、拒絶反応。ノドが締まる。「若い人は敏感でかわいそうだ」と先生。うひー。なんだか知らんが、しばらく苦戦しているうちに入った。胃を見ている。もうたいしたことないけれど気持ちわりー。ノドが半分以上埋まっている。よだれは垂れ流し。胃の中、俺も横目で見る。赤い点が3つ。血か!そして十二指腸へ。うげ!はげしい拒絶反応。身体全体が跳ね上がり、触れると溶かされそうな液体が口から噴き出てくる。胃のときはハラに何かある、という程度だった。それが、十二指腸だと、ハラの中をまさぐられている。さわられているのがはっきりわかる。早く終わってくれ。もう逃げ出すこともできない。いつもと変わらず、としていた昨日のことを思い出す。たいしたことだな、やっぱり。まあ、現実はその時においてのみ、現実だ。

 終わった。引き抜くのは早い。この機械は昨日壊れたものの代替らしい……。それで太いらしい。しかもポラロイドのミスで写真撮れず。おいおい、もう1回やるのか?やるんなら仕方がないけれど、もういいらしい。医者が目で見たから。
 内科行って説明受けて出る。タバコ、アルコールだめ。まあいい。ふんぎりがついた。
 もう1時限には間に合わんというかはじまっている。家にTEL。かわいそうだ、ばっかり。同情はよせよ。大したことではないぜ。山田氏について話す。わかりきっていることばかり。母は自分をずるいという。どうでもよくやっていると。意味がわからない。物事をどうでもよく受け流すのが優秀な人間というものだ。

 AM10:00に学校についたが、15分便所で時間調整がてら、脱糞する。長いようでそうでもないような。平然と授業受けて帰る。

 帰ってからもTEL。父に話すと寮を出るという手もある、と。ウィークリーマンションがどうだとか、すったらことどうでもいい。俺に逃げろというのか。バカから逃げろというのか。そうではなく食事療法?くだらん。結果は同じだ。よくなるどころか、バカから逃亡した屈辱のためにこっちの気が狂うわ。俺はこんな屈辱、ここ8か月受けたことがない。なんてことだ。口をひらけば、かわいそう、かわいそう、といい加減にしろ!俺は何ともないんだ。両国の暮らしにも、大学への受験についても、何の問題もないのに逃げろっていうのか!バカについて今まで耐え忍んで来たのは何だったのか。俺の存在目的そのもの否定してくれた。なんてことだ。こういう解釈をされるから胃に来る。本当に胃に来ている!なんという屈辱だ。そう言ったら父が泣くだと!泣け!知ったことか!

 ノドが痛む。ホープ100本吸ったみたいだ。
 センター解説受ける人、江川氏の挙手に対して「江川氏、受けるの?ふーん」。
 28日、夕メシだけ喰う人の挙手の際、寮監が江川氏に「人に左右されちゃいかん。勉強もそうだ。信念を持ってやらんといかん」
 3F、俺一人だけ白く、あと赤い。遅い。出るのが。


この日のカネの動き

医者 胃カメラ
くいもの 練乳パン
くいもの 無印良品シューチョコ
のみもの ミルクティー -110
TEL -300
コピー 4枚 -40
ゴミ袋 20L×10枚 
布テープ
郵便 湖陵へ -130
ペリカン便 -1,030

財布残高 記述なし


解説
 胃カメラの日である。日記には「世間一般では大したことなのだろうけれど、特に何も感じない」という趣旨の記述が多く、胃カメラを前にしても特に実感もプレッシャーない鈍感さを表面しているが、やってみるとなかなかしんどい検査であった。1996年という過去であるだけでなく、その時代においてさえ古い代替機を急遽使った為、異様に太い庭の水まきホースみたいなものをねじ込まれ、えらく苦しい思いをしたものであった。

 私の「十二指腸潰瘍の疑い」は、潰瘍というほどのものではなく十二指腸炎という診断が下り、薬で治療を続けることになった。もちろん実家に経過報告をしたら、心配されただけではなく悲しませたようである。私が書いているように同情ではない。はじめて実家から遠く離れた東京に送り出し、それも鉄の規律でしごかれると歌うスパルタ予備校であり(実態はさほでのものではなく生活態度と学習姿勢について口うるさい程度に過ぎなかったが)、ただでさえ心配しているところでそれほど大きな病気をしたこともない私が大掛かりな検査をしたら内臓に疾病があったとなったら(もちろんそれも大したことではないのだが)、心配なばかりか罪悪感まで持ったようである。私が少しばかり健康を害したというただそれだけのことについて、母が自分を「ずるい」と称したことは意味がわからない。だが、これは自分は何かをするべきだったし、何かを出来たはずなのに、何もせずに私の状況を悪化させたという自責の念なのだろう。ただもちろん母が出来たことなどひとつもなく、遠隔地で自責されても困るであった。

 なお、父はより実際的に、異常者のいる寮なんぞ出て外で暮らせと提案した。病気になったのだから、自分たちの管理下で看護したいという気持ちもあったのかもしれない。しかしこれは私のプライドをひどく傷つける屈辱的な提案だった。私は、忍耐と克己とを中心的な価値に据えて、些細なことに心煩わされない鋼鉄の精神を自分が持っていると信じ、それをアイデンティティの中心としてきた。異常者から逃げるのであれ寮生活から逃げるのであれ、そんなことをしたら逃亡したという記憶と結局逃亡したという他者からの認識(の想像)に苛まれるに決まっていた。私には自殺を勧められているも同然であった。

 「白い」「赤い」という記述は、在寮時には「赤」、不在時には「白」になる外出・帰寮のたびにひっくり返す名札の色のことである。胃カメラを控えているので、いつもより遅い時間に寮を出たが、「でも、3Fは真っ赤だった。高村氏や井上氏も含めて」というのは、3Fの住人たちがまだ寮にいて出発していないということである。後に寮監が述べる「3F、俺一人だけ白く、あと赤い。遅い。出るのが」という話も同じことで、出発の早い私だけ名札が白くなっているが、出発の遅い他の3Fの連中の名札は赤いままということである。

 水道橋ラクガキコーナーにたびたび描かれた新宗教を賛美する文言、どういう謂われがあるのか同じ絵まで描かれ、そこそこ労力はかかっていたはずである。主に高校生ぐらいの若者がマンガアニメやそれらしいキャラクターを描かれている場(そう限定する決まりがあるわけではない)では、確かに場違いではあった。


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