熱い風呂に気迫で入る
1996年12月17日(火)
水道橋、ラクガキコーナー、もうすごく埋まってて、書くところほとんどなし。しかしそれでも■■教、意地でスペース見つけてコンパクトに書き込んでいた。すげー根性。
最近寝てばっかな上、勉強しとらん。頭を鈍らせるな!『ギルフォード』でも何でもやれ!
水道橋駅(都営)で制服の高校生が自販機でタバコを買っていた。堂々と買って見せているつもりかもしれんが、心配げにあたりを見回していたな。しかもマルボロ・ライト・メンソール!ご婦人の吸うタバコだ。KK氏の彼女の愛用の品。男ならホープを吸え!しかもキヨスクの横。男ならばキヨスクのオバサンに言って買え!まったく日本男児が情けない。まあ俺は高校出てからはじめたから何もこわくないけれどね。
風呂、俺は熱かろうと何も言わず、ただ、浸かる。千石氏、あちちちち、とか言って足先だけ入れて、それ以上入りかねている。ふ。迫水氏「晴天君、熱いの強いね」と。そういうのより、気合いだよ。
金城氏も強いらしい。高校時代のムリのせいで感覚がおかしい、と。彼はゾクだった。無免でバイク持っていない。チームじゃなくて「組」との噂も(あくまで噂)。50人ぐらいのグループとのこと。ジュース飲みながら電柱に当たって、ジュースを離さなかったという伝説も。
高山氏の講談。「イバラキ番長」。バイクのハンドルがこんなの(異常に大きな曲線をし、ふんぞり返らないと握れない)やこんなの(逆に猫背になって小さく前倣えの姿勢をしないと握れない)でバイクに乗っているそうだ。特に後者はハンドル操作が出来ないので身体でカーブを曲げるしかない。けっこう、皆バイクやっているらしいな。無免かどうかしらんが。千石氏もガソリンを入れると、オイルを自分で軽量して混ぜて載っていたという。すさまじい代物に乗っていたんだな。
迫水氏「チームの友達よぶぞ」と。松戸も怖いからな。
三浦氏、石井氏、岩淵氏、帰っとる。林氏、受験帰省。崎元氏と布井氏とは自宅通学。受験帰省の林氏はともかく、根性ねーな。病気でもあるまいに。
この日のカネの動き
パン デニッシュ -120
メシ エビピラフ -350
コピー -80
財布残高 記述なし
解説
場違いだとして蛇蝎のように思われていた■■教の信者の書き込みは、他の書き込みの上に重ねて描くようなこともせず、節度ある描き方をしていた。つまり書いた主は善良な人間であり、ただ自分の信仰を表したいだけなのである。ただ、他愛もないラクガキコーナーで宗教を賛美する文言を書くこと自体が特段信仰がないという自意識を持つ人間から好まれることではないが、特殊事情として1996年という年は特段宗教、それも新宗教が忌避される時期であった。そうした信仰を持つ人は、迫害それ疎外され、傷つくことも多かったことであろう。このラクガキコーナーでえ宗教の書き込みが改変されなどしていたことを思い出し、そう思うなど。
メシが出ないわけはなかろうに、買って喰うことが多くなっている。学校のメシを喰ってなおパンなども食っているのか、それとも仕出し弁当を抜いて寄り道時間を作るのを続けているのか。どちらにしてもやや奢侈をしている。
未成年にタバコを買わせることを小売店に禁じる法令はたぶんまだなく、小売店が未成年だからと売らないことは基本的になかったように思う。トラブルの種だし、めんどくさいし、売上には違いない。後の時代のように法令違反や世間体などのデメリットは特になかったのではなかろうか。地元で同級生の親が働く小売り店でも、どういう不良がどういう態度でタバコを買おうとするか面白おかしく話してくれたものである。これも当時の時代性である。
熱い風呂に何でもないようにして入るのは、やせ我慢である。とにかく堪えることが美徳で、物事に動じないことが自分の在り方だと信じていた。また、私が平然と入っているからとなんの疑いも温度確認もせずに浴槽に足を突っ込む人々が、熱いっとびっくりするのを見たいという稚気もあった。
ゾクやバイクの話の真偽のほどはわからない。ただ驚くのは、混合給油。ベスパだろうか。さすがは都会の裕福な家の出自の若者は、しゃれている。。