化学的体臭が
1996年12月26日(木)


 久しぶりに学校へ。行くとき、なんかまた軽い。時期尚早だったか?でも、大丈夫だった。それよかセキがひどくなっている。ときどき、セキと共に薄緑色の粘性のカタマリが飛び出てくる。タン?うげ!こんなものが胸だが、気管だかから出てきたのか?
 まだ、治っていない。それどころか、別の方向性で悪化している。念のため病院だ。明日に。

 久しぶりの学校。別に久しぶりって気はしない。俺にとって3日間は止まっている時間だ。最後に学校に来た日と、今日とは、連続した日なのだ。少なくとも俺にとって、学校では。TN氏もマスクして、黒い報告書(寝まくっている)を持っている。流行っているんだな。

 化学的体臭が。薬のせいだ。早起きして頭洗わなかったら、ひどかったな。でも、やっぱりおかしな臭気が。特に世史412で、1時間半講義を受けて、休み時間、外(WC)でクールしてもどったら、異臭が教室に立ち込めていた、ってほどでもないが、おかしい臭気が。いつぞやの高校時代の■■君のひどい化学臭もこの同類だったんだな。わかっていたけれどもさ。

 岩淵氏、写真を撮り直すと。明治はカラー写真オンリーだが、白黒にしてしまった、と。ついでに明治大学の願書をあげる。要らないもん。あと写真、他大学ではどんなのが要るか調べた。俺があらかた記憶していたので驚いていた(隣にいた田山氏も)。三恵社の道を教えろっていうので(店名を彼は知らない)、オリンピックの方へ行けって言ったけれど、わからんよな。紙に書いて渡そう。
 明日念のため医者だ。

 草刈部氏から「時計」と書かれた小包とハガキとが実家に来たそうだ。クリスマスプレゼントか。すまんねえ。いや、ありがとう!俺の友よ。やはり距離があろうと友は友!彼にとっても俺は友だ!Thank you! もらいっぱなしでわるいな。
 彼は美専、うまくいって広告代理店らしい。うまくいかんと?うーむ。新聞奨学生の気合いを買われたりは……。とにかく彼はもう就職活動もしないといかん頃合いか。引き離されているな。目に見えて。
 俺は自分から高い予備校へ。そして4年間も私大だ。
 彼は働きながら専門。そしてもう就職。
 負けているよ、俺は。ここでヘボ大に入ったら合わせるツラがなし(会うけれどもさ)。


この日のカネの動き

のみもの カロリーメイトドリンク×3 -399
収入 母より +20,000

財布残高 記述なし


解説
 久しぶりに予備校へと登校した。といってもセキがひどいらしく感染リスクが高い頃合いではなかろうか。また、灰からタンが出ることに驚いている。この場合のタンは治る過程で出ているものだと思うが、よけい悪化しているのではないかと心配している。

 服用している薬のせいか、自分がケミカルな悪臭を発しており、それが発汗に伴って発しているように感じられた(そしてそれはたぶん事実だ)。インフルエンザを治すためだから薬は飲まないわけにはいかないが、薬の体臭には閉口した。教室に入ってきた人々が顔をしかめたのを感じ取るなどしていた。なお、ここで上げている高校時代の■■君は、この両国日記でよく挙げている友人たちではなく、病気で長欠していた同級生である。他の日付では言及していない。この■■君も、薬のせいか、やはりケミカルと評したくなる匂いを放っていたことをよく覚えている。もちろんそんなこと誰も口にしないし、病気で長欠していたのだから薬のせいだとは皆わかってはいた。それでもおそらく本人は気にしていたことだろう。それを思い出した。

 当時は証明写真で白黒かカラーを選べて、どちらでもよかったのだろう。多分カラーの方が高かったから岩淵氏は白黒にしたのだろう。フィルム時代ならではである。しかしカラーのみ受け付けという大学があるとは思わなかった。大学で必要な写真まで記憶しているとは、さすがは若き日の私はまだ記憶力がよく、他に娯楽がないので大学本を熟読するなどしていた成果も発揮されている。

 「三恵社」と読める文字列は、本当にそれで正しい表記なのか、何の店なのかは不明。

 草刈部氏は、私にずいぶん後になるまで、いろいろとモノを送ってくれたり、手紙をよこしてくれたりした。本当にありがたい話である。そして、彼は新聞奨学生をやっているぐらいだから進学条件が厳しかったことがうかがえる。それに対する私はいくら「鉄の規律」と称したところでべらぼうにカネのかかる東京の予備校に通わせてもらい、そり上、私立大学にも通わせてもらうのだから、そこには引け目を感じている。そして彼がいち早く学生になり、いち早く社会人となることに対し、引き離されている、とする言葉に当時の心境が表れている。


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