久々に学校の昼食
1997年01月08日(水)


 今日は英語、寝さらした。昨夜、用心のために飲んだカゼ薬のせいか、それともやはり身体の習慣の問題か。明日は模試の日のように背筋を伸ばして、歯を食いしばって気合い入れてみるか。

 写真を取りに行ったら、フィルムをボール紙で作ったケースに入れてくれた。フィルム折れますから、と。いや持っているんだすけれどね。カバンの中でボール紙のケースに入れたまま運び、店でフィルムを出したのだが。まあ、店の方でも管理に困るんだろう。すいません。わざわざ気を遣っていただいて。入学手続き用写真もここで焼き増ししようかな。ボール紙ケースを二重にして持って帰った。

 久しぶりに昼食喰った。人少なし。それなりにうまっているのだが、密度少なし。茶の奪い合いも、せまい、人の座っている机の間を縫って歩くこともないようだった。

 本田氏、ものもらいか。ただでさえ細い目がさらに細く。皆恐れる。藤田氏曰く、「聞くな、見るな、話すな、触れるな」だそうだ。

 竹市氏、両国辞めた説が。おいおい。


この日のカネの動き

写真 証明用 -2,600

財布残高 65,334円


解説
 学校で食べる昼食は、食堂として使用する教室に行って仕出し弁当と湯のみ茶碗をとって開いている席につき、古典的なブリキヤカンに入った茶を汲んで食するというものであった。だが、茶のヤカンはとりあいで取りに行くのも面倒で、すぐになくなり、また、もともとただの教室なので人で混み合う中を移動する歯の気を遣った。しかし徐々に人口は減っていき、年明けの直前期に入ると人口密度が目に見えた減ったようである。
 混み合う中では、通学生(食費寮費を払っていない)が寮生ならば寮番号の記載されているはずの空白部分を指で隠して学生証を示して弁当を貰う不届きなこともあったらしいが、もうそうした小細工が通じる人数ではなくなっていた。

 竹市氏はこの直前期になって予備校を辞めたという話が飛び交った。私は辞めることをドロップアウトだと見なしていたのでここに来て辞めるとは根性がない、それに勉強の機会と学習環境とがもったいない、というようなことを考えたのだろう。しかし1月である。もう通常の授業は終わり、あとは実戦形式の演習で場数をこなしていくだけである。しかしそれなりにもう出来る人ならば家で自分の勉強をしつつコンディショニングを整えたいと思っても不思議ではなかった。また、早い人はすでに合格を得てそれで受験完了としていた。だから年明けは急に学校の人口密度が減ったのだろう。


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