「共通言語」は勉強だ
1997年01月10日(金)
家にTEL。けんしろ氏より年賀状とのこと。いろいろ話すことがあるよ、とのことらしい。「よ」ね。「情けを掛けられた」などとは思わないが、なんとも先生のような語り口だ。
高村氏、みかんくれた。彼、カゼらしい。気をつけろよ。すまんな。
電気代、1,080円!でも、大したことないな。ポット使いまくったわりには。まあ1週間の休みと発病までの倹約とがある。
高山氏帰寮。
高山氏、高村氏へ「早大、いっしょに(願書)出してくれ。一緒に受けに行こう。答案交換してくれ。日本史は俺がやる。3万払ってもいい」と。笑っちまった。
山田氏と風呂で授業の話。彼との「共通言語」は勉強だ。なんでも話す必要はないし、選択がいる。こんな話でも話せば爽快だ。適当にあたりさわりなく話しているとしても、だ。ハラの中の悪気が抜けるようだ。やはり、人は人と接するべきだ。感情、いまいちよくわからん。でもこれでいい。彼が「やさしくしてやっている」つもりでいても、「共通言語を選ぶ」という新方式を開拓したと思って優位に立ったつもりでも、構わない。人とはうまくやろうな。彼、うれしそうだよ、ほんと。今までの悪意をすまないと思い、恥じた。
この日のカネの動き
交通 定期 JR水道橋⇔両国1か月 -4,640
月刊誌 アニメージュ 記載なし
参考書 赤本 國學院・法、中央・総政、学習院・法
-1,780、-1,780、-1,830 小計-5390
財布残高 58,924円
解説
もう登校日は残り少ないが、なぜかJRだけ定期券を買っている。どういう計算かは不明。また、『アニメージュ』の出費について金額の記載がないが、残金があっているのだろうか。赤本については、受験大学の問題動向を軽く見ておくこと、部屋に受験大学名の赤本を掲げて士気を高揚させることの他に、冒頭何ページかにある大学の概要、在校生の声などの大学情報を得る目的もあった。これは貴重な情報として熟読したものだった。
高山氏は、成績優秀な医学部受験者の高村氏に対して替え玉ならぬ答案交換を持ちかけている。つまらない冗談だが(だいいち同時に申し込んでも隣同士にはなるまい)、高村氏としては困ったことだろう。
山田氏とはどうにかそこそこ会話らしい会話が再開された。山田氏も学習したらしく、通じない話はしない。通じる話だけする。というやり方を開拓した。自己と他者とは違うことをようやく認識し、そこそこの距離感で付き合っていくにはどういう方法論が必要か正月にでも考えていたのだろうか。私と話を出来てうれしそうだったというのは、いちどは自分を拒絶した人間が再び自分を受容してくれたと感じたからだろうか。どちらにしても、記憶は不快な記憶ばかりが残り、不快な記憶への怒りは現在進行形の怒りとして脳をさいなむ。他者そのものとのそこそこ円滑なやりとりはそれなりに心地よさをもたらす。そういうことである。