勉強の話ばかり。これでいい
1997年01月14日(火)


 関西の願書とともに法政の願書を買った。帰って亜細亜の願書を見たら、封筒に法政の要項入っていた……。850円ドブ!俺のフトコロは補填できるが、無駄な出費はしたくない。すでに7万もだましとっているんだし。

 中央総政はともかく。早大の多人数。週休2日よりも優れているのか、他大学は。法政も満足度低かったぞ。学習院・中央はいいらしいが。早大の7万、おしかった。どうせ受からんが、やってみた方がおもしろい。仕方ない。7万で何かを買ったんだ。

 山田氏と帰った(行きは布井氏とだから、ラクガキコーナーへは今日は行っていない。明日貼り替えていたら悲しい)。勉強の話ばかり。これでいい。これこそ共通言語。俺は昼食とらない。そして郵便局へ寄るとして別れた。寮に帰ると山田氏からの差し入れが。パンと飲み物。そして書置き。「昼食たべた方がいいですたい。byおせっかい好きの山田」と。すまん。俺がわるかったと言いたくなった。この行為はありがたくいただこう。「ありがたきしわあせ 309」と書いた紙キレを彼の部屋のドアの隙間に入れる。
 山田氏とは険悪なときもあった。でも共通言語を絞り、今までの確執を表に出さず、うまくやっている。もう俺らは19才。今年で20才。いい年だもんな。

 大学に行ってからどうしようか。4年間は短いだろう。この両国の1年間の短いこと短いこと。実際に時の流れは変わらんが、そう感じる。出来ること、そんなにも多くない。過大な期待はしない。むしろ、今の、いや、1学期の気合いの入った生活をするつもりでいこう。勉強、勉強だ。いずれ社会へ出て、仕事に生きるのだ。これぐらい当然だ。そして趣味、遊びにも気合いを入れる。何事も気合いと根性が要るのだ。寝ているだけでも4年間は過ぎる。気合いを、力を、とにかく入れまくれ。とは言っても何に、どうやって?「先輩」の話でも聞き、自分も苦しめ!

 今日の朝、五十嵐氏、田山氏、来ない。上がってドアを20回ぐらいぶっ叩いて起こす。

 ミーティング、はじまってから麻見氏がいないことに気づく。

 五十嵐氏、どっかに合格。よろこんでいた。たるむなよ。母親からの電話ですごく感謝し、よろこんでいたとのこと。「うちの息子が、はじめて大学に受かった。これも両国のおかげです」と。田山氏の寸劇。

 明日は東大の下見と水道橋だ。

 坂本氏はイバ大工学部について「あんなくせーところに行けるか」として蹴ったらしい。宮村氏の第一志望はイバ大工学部だった。

 受験にはパワーが要る。そして頭にパワーをやるために胃に負担をかけすぎちゃいかん。
 昼食は両国のおにぎりと飲料だけ。あとは朝食で気合いだ!リゲインを飲め!ねむくならんぞ。あさっぱらから豪華にいくかな。


この日のカネの動き

願書 関西 -670
願書 法政 -850
郵便 普通 -130×2
水 -200

財布残高 62,722円


解説
 受験当日まで(下手したら合格後も)必要になる要項をなくすなどありえないはずだが、やむなく買い直したら他大学の封筒に入っていた。他大学のと一緒に見ているうちに重ねてしまったのだろう。迂闊である。

 学生満足度はどの媒体がどうやって取った調査なのかはわからない。だいたい学生の評価というのは、授業評価だろうと大学評価だろうと、細部に拘泥してアテにならないものだ。少なくとも中大に関しては、実際に行ってみて満足度は非常に高かった。

 山田氏は、私が昼食を抜いたことに対して、私のドアノブに食い物の入ったレジ袋をかけてくれていた。書置きも保存してあるが、後になるほど字が小さくなっていく。自分の好意が、自分の存在が、受け入れられるかどうか不安だったのだろう。虫ピンでも入っているんじゃないかと少しばかり疑いもしたが、おいしくいただき、簡単な返礼文も書いたのであった。正直、私は食事に介入されることを嫌い、自分の好きなものを好きなように喰う自由を損なうことは迷惑なのだが、しかし一時は退学退寮のプレッシャーがなかったら殺し合いにエスカレートしたかもしれないほど顕在的に対立したのに、なおも親切にしようとするところに、いささかの不快感と困惑を持ちながらも、心打たれたのであった。

 五十嵐氏は早々にどこかに受かった。合格したという事実が欲しかったとのこと。それで親から寮監に電話まできたとはよほど感激したのだろう。親孝行をしたものだ。そして坂本氏の歯に衣着せないぶっきらぼうな言い回しで、他人の第一志望を蹴った話(他の大学についてもしたことがある)をするのは、けっこう笑いを取った。

 私は大学に行ってから精一杯勉強しなかったし、4年でもなかったが、全力で自分なりの活動には取り組んできた。立派な社会人にはならなかったし、また、社会人、というか企業官庁の勤め人となることをよしとする考えもまったく消え失せた(生活しなければならないので、したりしなかったりしてはいるが)。それでも暮らしを営んで何年も何十年も経ってからこうした若き日の日記を思い返すと、原点に回帰したい気持ちになるのである。資格試験で受験専念になったときも、両国の体験を再現することを心掛けたものだった。その意味でも両国の生活は財産である。

 なお、「昼食は両国のおにぎり」とは、受験当時に寮で持たせてくれるおにぎりであった。寮監曰く、「両国名物合格弁当」とのことだが、おにぎり二つとたくあん数キレという素朴なものだった。米は冷えてもうまい品種なのか、もち米を思わせる風味だった。私は好んでたべたものだが、寮生の多くは例によってあまりいい感想ではなかったらしい。


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