手紙
1997年01月14日(火)
郵便為替手数料 200
書留手数料 2,220
銀行振込 721
書留手数料 4,161
赤本
國學院・法 1,780
中央・総政 1,780
学習院・法 1,830
切手 780
書留手数料 1,000
銀行手数料 1,442
早く終わってほしいが、時間も少ない。やること多し。「完全」などありえないし、もう法政のどっかの学部にもぐり込めるだけの点はとれるだろう。だが、自分は9か月しかやっていない。何もかも綱渡りだ。特に世界史は難物だ。社会なんぞ70%とれりゃあいいのだろうが、思いの他、量が多く、また、知識の整理・応用が要求される。知ってはいるが答えられない。やった気がするがおぼつかない。大丈夫だ。早大なら知らんが法政で70%ぐらい。英語にせよ単語も何も忘れまくり、文法は数もこなしていない。文も読めてはいるが遅すぎる!古文も同じ。いや、文はさらに知識が穴だらけ。これこそ綱渡り。得意の現代文は最も難解な教科だ。思考力と慣れと傾向把握が要求される。現文は何とも言えない。偏差値が45〜75まで散る。そのとき次第だ。まあ大丈夫だ。別に心配も不安も持っていない。國學院受かったら2/19に帰ってきちまうかな、と思ってたが2/25に帰る。決定事項だ。
俺は人間を前にして怒ることはまずない。誰かに怒るときはたいてい自分の記憶に対してだ。記憶はモノの類。人間ではない。悪いところばかり強調され、変質もされる。自分ひとりで勝手に感情を高ぶらせているだけのこと。もちろん目の前の人間をどうにかしてやりたいときもあるが、■■はその類の人間ではない。
人に誰かのことをいうとき、対象の人間はそこにはいない。モノに対するように遠慮なしに、自分の思うままに口にできる。これが問題なのだ。俺がその人間に対していつでも変わらず悪意を持っているかのように思われる。これは俺の言い方がわるいのだろうし、人の罵倒など口にするものではない。だが、言わなければいいってものでもあるまい。
多様性、これを認めろ。人は人だ。異なる見方があり、異なる意見があるのは当然のことだ。■■が何を考え、何を言おうとどうでもいいはずだ。そんなことは言うまでもなくわかっている。それでも、今まで幾度となく■■の思考を、発言を憎悪してきた。わかっていた。怒る必要などないと。だが、感情と理性は完全に分離してはいなかろうが、感情と理性とは別物らしい。
解説
実家への手紙である。出願料にあきたらず、それに付随する費用まで請求している。受験はカネがかかるものだし、必要経費は出すというのが我が家の方針である。他方で私は虚偽の出願を理由に7万円をせしめ、また、他にも様々な口実をつけてカネを引き出していた。そういうボンクラなのである。そして帰省についても一方的に通告している。
山田氏について少しは落ち着いたことを伝えようとしている。このもってまわって言い回しで親が安堵したかどうかはわからない。