講師たちの最後の言葉
1997年01月27日(月)
朝、山田氏、宮村氏、西内氏と。宮村氏は、最近俺に声をかけてくれる。俺がセンターでいい点をとったからか?いや、センターの次の日に世界史難しくなかったよね、のあたりからか、東大(センター当日)で西内氏に余った案内図をあげたあたりからか?まあいいや。
皆、両国の単語帳を開く。どれも使い込んである。山田氏は『ターゲット1500』を使っていたような気もするが、両国の5000を持っていた。しかも妹に買ってやるとも言っている。
すげえぜ宮村氏、余白に出ていない単語を書き込んでいる。どこかで見たものばかり。見たことあるって、模試やプリンとのか?西内氏も!やるじゃねえか。高村氏のはもっとすごいと聞く。俺も5000だけじゃ足らん。増やせ増やせ。もう日数ないけれどもな。
OM先生の最後の授業。何と言ったか忘れてしまった。書かないと忘れるな。
UD先生の最後の授業。「いつか、どこかで出会えることを」「皆、幸せになれよ」「今までやってきたんだから自分を信じろ」など。少し涙ぐんでいたかもしれない。
世界中を回り、ガイドが地雷で足をふつとばされ、銃で撃たれ(当たりはしなかった)、ロシアンルーレットをやらされたこともあり、ヤクザに歯を折られたなど、すごい人だ。勉強になるよ、こういう人は。
KY先生。天命を待つな。最後の1秒までやれ。結果を考えるな。入試なんて勝負事だ、と。センターの高3のできるクラスの成績は93点。センターは差がつかない。それが私大になると浪人の方が有利。つまるところ、つめていかんとダメ。世界史はこれからが一番伸びる。今から点を稼げるのは社会だけ。天命を待つな、とのこと。
講師は生徒の合格大学を教えられない。受かったら遊びに来てください。手紙を出してください、と。12月に見ますって、もしや総仕上げのみ?
布井氏、明治薬科、むずかしい、と。
この日のカネの動き
郵便 都立より不足分 -120
のみもの コーヒー -110
財布残高 58,417円
解説
予備校の講師の年度最後授業の言葉、当人は毎年どのクラスでも同じようなことを言っているのだろうけれども、それでも自分なりの思いを込めているはずである。そして、そのときどれだけ感銘を受けようとも、だいたい生徒は予備校のいち講師の言葉など忘れてしまうものである。しかしそれが記録に残り、思い返すことが出来るのが日記のよいところである。この日記は記憶だけではなく胸ポケットなどに入れて持ち歩いていたメモ帳にこまめに書いたメモの断片から書き起こしていたので、消灯時間前にそれなりに゜一日のことを再現することができた。しかしメモがないと、その日に聞いた話でさえ再現することができなくなるのである。
両国の教材でいちばん使い込むのは英語の単語帳である。枝葉を切り落とし、例文さえなく、単語と意味だけの代物で、語学をできる連中からは一問一答の無味乾燥な暗記は意味がないといわれそうなやつだが、しかしまつたく基礎ができていない人間にはまず一問一答で暗記を繰り返して基礎をつくるしかないのである。語学の文法や解釈をやるまえにアルファベットを覚えるのと同じ。計算をやるまえに数字をやるのと同じ。それぐらい出来ない人間には合理的な代物であった。