関大試験会場「下見」
1997年01月30日(木)
今日は、関大試験会場「下見」。受けにはいかないけれどもね。カネを出すのはいたましいし、ゲーセンは禁止。時間も使い方によるが半端。やっぱ受けないまでも下見に行くか。変化があるだけでも面白い。
いつもの総武線で茶水まで行って、中央快速に!総武線から離れてゆく。景色が違う。やっぱり鉄道はたまらない魅力がある。『A列車で行こう5』はどうしようか。快速のわりにはよく止まる。神田と東京、さして離れていないぞ。重要な駅だから飛ばせないのだろうよ。
京浜東北線でgo!山手線の南側までは快速。駅があっても原則どころかますます加速してすっとばしていくのは気分いいね。北海道の「おおぞら」じゃあ、もう少し止まってくれた方が楽しかったような気もするが、やっぱ各駅停車はすっとろい。
蒲田着、50分。たいした距離、もとい時間じゃないな。本屋で地図を買う。住むところは知りすぎても損はないし、手帳の都内の路線図だけでは困ることもある。路線図、すごい詳しいじゃねーか。いつも12号館の窓から見えてたのは総武線快速・横須賀線だったのか。両国駅の後ろで地下に潜りおるが気付かなかったよ。線路も橋もないのに、「どっかにつながっとるんだろう」としか思わなかった。まあ『A5』で複雑な路線を作りたい。昔、学研の付録で地図を書いて遊んでいたろう。俺はそういう創造が好きなんだ!
千石氏は登山者に悪意を持っている。自分の好きなことをやっていて(遭難して救助隊出て)、人に迷惑かけるのはムカツクと。確かにそのカネは自治体が出すが、戻ってこない。大変な負担だ。ダーウィニズムでいけば彼は正しい。しかし毒のある言葉は聞いていて腹が立つ。
でも、風呂で彼は紳士的だった。シャワーの順番管理も湯舟のスペースの取り方も。そしてぶつかったら「ごめんなさい」と謙虚だ。その点は好感が持てる。だから俺は好きか嫌いかと偏れないのだな。
昨日、風呂で湯の出るところに気迫で座っていたら、藤田氏「熱くないですか?」と。俺「とても暑い」と言った。このこと話にすれば、俺のこともそれなりに話になるか。盛り上がる。藤田氏も俺に多少なりとも話しかけてくれる。
この生活も先が見えている。もう終わりだ。高校にせよ、中学にせよ、修学旅行にせよ、徹夜ゲーム大会にせよ、終わるときは名残惜しく、終わるのが早いような気になる。今回の両国は、俺自身の経験と変化を除けばあまり残るものがない。この人々も、ほとんど全員が永遠に会うこともないだろう。同じ艱難辛苦に耐えたということで、仲のよい人はとても仲がよいらしいが……。
この日のカネの動き
地図 東京地図 -2,550
くいもの ベビースターラーメン×4 -120
TEL -100
財布残高 52,267円
解説
受けると、両国にも親にも虚言を弄して、両国に対しては外出時間を、親に対しては受験料をせしめた関西大学の東京受験会場「下見」である。外に出たはいいが、それでも浪費するでもなく、享楽にふけるでもなく、本当に会場まで行って帰ってきている。東京に来て1年近くとはいえ、毎日同じ路線に乗るばかりで、自由時間もほとんどなく、新しい路線に乗るだけでも新鮮な体験だった。
千石氏は登山客が遭難して救助隊が出るニュースに触れるたびに、自業自得、山で死ねれば幸せだろう、と聞き苦しい言葉を吐いた。これは彼なりの正義感が言わせたコトパなのだろうし、確かに無謀(かどうかは知らんが)な登山計画で地元自治体に負担をかけるのはよくない行いかもしれない。だが、これは21世紀になってから社会と人心とをとみに荒廃させた「自己責任」という言葉につながる発想のようで、聞き苦しいばかりか、社会を、人間の営みを委縮させ、見えないところまで波及させて経済を縮小させていく発想ではないかと思ったりもする。
もう終わりつつある両国生活について感傷的になっている。修学旅行の帰りの列車が地元駅に刻一刻と近づきつつあるときのように。私はここの生活も寮の人々も好きだった。充実感を得て、生活からムダを排除して克己する自信をも得た。箸にも棒にもかからなかった私が曲がりなりにも名門大学に入ることもできた(中大法学部がどの程度のものかはさておき)。ここの暮らしは有形物はこの日記一式ぐらいしか残らなかったが、しかし多くの面で財産となっている。