入試・法政大学法学部A方式
1997年02月16日(日)
三浦氏、昨日のPM09:00頃、荷物を運んでいた。何もこんな時間にやらなくても。勉強時間だぞ。彼はそういうことに気づかないのである。
今日、朝礼に三浦氏は来ず。山田氏が呼びに行ったが、「ごはんないからいい」とほざいてまた寝たらしい。どうやら彼は合格退寮するらしいが、高千穂商科との話だ。まあ、行くところがあってよかったさ。昨夜、田山氏は三浦氏と話したという。「五十嵐を殴るから、今トレーニング中なんだ」と。合格祝賀会でやるというので、「あいつ来ねえぞ」と田山氏が言うと、一瞬、静止していたという。そして「念仏唱えろって言っておいて」と。田山氏のこの話に対して、作ってんじゃねえのか、と五十嵐氏が言うも、「マジ」とのことだ。しかし、三浦氏。おいおい、笑わせんなよ。体格も違うし(いやそんなこと、本気で殺す気で来るやつには重要ではないのだが)、随分強気だなー。
法政行く途中、作業服が5〜6人ケンカしていた。皮膚の色素の濃さ、どこの出身の人だろうか?単なる日焼けかもしれないが。ガタイもでかい気がする。どういう出自の人かは知らんが、迫力があるねえ。ホンモノのケンカは全力でやるものだ。傍から見るとシャレにならないと思わないようなケンカなどない。大音量で叫び、力の限り押し、また全力で引き、そして殴る。きわめて原始的な行動だ。生き残るためには全力で、あらゆる手で相手を破壊しなければならん。後先のことは後でゆっくり考えればいい。
高山氏、退寮。ドアの喫煙者を示す☆マークや札や電気代の表などすべて剥がされ、食堂のテーブルの名前さえ剥ぎ取られていた。7〜8班のテーブル。一番賑やかだったのに、寂しくなったな。今は俺らのところが賑やかな部類だろう。あと宮村、江川、金田のいるテーブルもまあ賑やかだね。
今、何人いる?
23人、約2/3か。でも、受験などで夕食時には22人が揃っているわけではないので人数はさらに少なく、寂しいんだよ。田山氏も「さびしくなったな」と。彼は最後までいるらしい。今月20日〜29日の間に、かなり消えるはず。俺がいなくなってから、どのような生活が営まれるのだろうか。
退寮者、千石氏・本田氏・高山氏。
実質的退寮者、(数日でいなくなった人物)・崎元氏・竹市氏。
帰省扱い、布井、迫水、石井、三浦……この中の何人がもどってくるのか。
この日のカネの動き
テレカ ×2 -2,000
のみもの コーンポタージュ -110
財布残高 7,723円
解説
もはや途中でケンカを見たことしか書いていないが法政大学法学部A方式の試験日である。
全員集まり、朝礼、食事、ミーティングなどが行われてきた食堂のテーブル。1つのテーブルにつき概ね6人がおり、それが点呼の班にもなり、全員が集まる朝やミーティングでは若者たちでひしめき合っていた。しかし今は、櫛の歯が抜けるように目の見えて人が減り、寂寥感が募っていた。しかしまだ、残っている人数の方が多い。私がいなくなった後も入寮期間自体は継続し、後期日程・C日程や遅い時期までやっている私大の入試などに賭けた人間たちが何人か、最後まで居座っていたはずである。私には窺い知ることはできない話だが、本当に人数が激減して、いる人数を数えた方が早く、それもわずかという時期は、どのように暮らしが営まれたのか。会話はどうだったのか。最後の方の別れは。風呂はそれでも浴槽に沸かしたのか。食事のときの席は自由席化したがその様子は。そして最終日の解散は。いろいろと気になるところではある。
「退寮」と「実質的退寮」と「帰省」とは手続きの問題だったと思うが、本人としてはもう受かって戻らないつもりの人も「帰省」扱いだったりもしている。どういう手続きを踏んだのかはわからない。
三浦氏については、あれだけ攻撃的な態度で接していられたら、そりゃ報復したくはなるとは在寮中からずっと思っていた。筋トレしたぐらいで何か意味があるとも思えず、かといって先に本気になって殺しに来る奴には体力体格はあまり関係がなく、ましてやどの程度の報復をするつもりか、後先考えているのか、人生棒に振る覚悟か、意気込みをしゃべりたかっただけなのか、それはわからない。わからないが、つらい話ではある。