中大法学部合格
1997年02月23日(日)


 朝礼。もはや班は不要。13人。
 岩本氏、佐々木氏、高林氏、金城氏、宮村氏、西内氏、石井氏、麻見氏、根岸氏、俺、田山氏、五十嵐氏。
 急に寂しくなったな。まだ、もどってくる人もいるけどな。最後まで見届けられなくて残念。

 井上氏は北九州へ。藤田氏帰還。

 佐々木氏は旧・本田氏の、KOボーイの高林氏は旧・高村氏の席へ異動。テーブルの話。収束へ向かっている。収束へ。

 中大法科、落ちてて当然と思ってTEL。「おめでとうございます」 やりかった!俺は中大生に決定だ!朝、錦糸町の治安問題で母と口論(というか、俺がひとりで怒った)したが、住み家も京王だ!根室へも直接TEL!おばあちゃんに直接伝えたぜ!もう大変だったらしいぞ、親類は。父は母のTELの横で緊張し、合格と知ると涙流して喜んだという。そして近所の親戚宅へふっとんで知らせたと。と親戚のおじさんも興奮!誰に言おうかと。根室の伯父さん伯母さんからも中央の法科はすごいとTEL。おばあちゃんも「よかったねえ」とTEL!大騒ぎさ!ICUに行った従姉の■■ちゃんも「そりゃすごい」とのこと。ただし、あそこはタヌキもムジナも出るとのことだ。

 帰ってすぐの反応。五十嵐氏「いや、むかつく」。ふふふ。まさに両国マジック!調子にのるなよ。
早稲田?そんなところ行かねえよ。社学を受けないで24日、すなわち明日出ることに決める。これを伝えたとき、寮母さんの顔はさびしそうだった。
 勉強も必要なし。寮監さんが回ってきたとき、俺は中央のパンフを観ていた。「よくがんばった」と言ってくれたぜ。

 最後の風呂、さびしいなあ。佐々木氏、ここの玄関に入ることを、このボロ板を見ることもない。この寮も何年かするとなくなるだろう、と。やはり彼は文学的素養がある!一回性についての感嘆か!

 今、となりの田山部屋にいつものように五十嵐氏がいる。俺に壁ごしに話しかけるよ。「晴天やん、『同級生』貸してくれ」と。「俺のはTOWNS版だ」と返す。田山氏、『同級生』とは何か問う。五十嵐氏、「ちょっとHな育てゲー」と。育てゲー?田山氏、「晴天やんがHだったとは。最後にきてショックだ」と。うれしいねん、交流は。
 田山氏、「晴天やん!両国に来てよかったね!」と。「最初、東洋って言ってたよる」 俺「去年、■■大学落ちたからね」 田山氏「両国来てよかったね!」と。
 五十嵐氏、かなりヤベー奴だったんじゃあ、と。最初「第一志望が東洋」というから、と。

 今、五十嵐氏がガムテープ&ビニール紐を借りに来た。もう帰るからとまるごとあげたら、肩を叩かれた。「中央の法行っても、がんばってね」と。ふだんの彼はこんなに紳士的ではない。おっしゃ!やったるで!「コルト・ガバメントを置いて行ってね」と言って出て行った。もったいない、置いていけるかよ(まあ、ガヴァは持っていないが)。


この日のカネの動き

切手 80円×5 -400
非常用開封 +10,000
Tカード -1,000
のみもの ホットカルピス -109
TEL -100
テレカ -1,000
交通費 (イオカード残額80円分使用) -40
ゴミ袋 -113

財布残高 記述なし


解説
 朝の時点で、人数はもはや4割弱となった。もはやテーブルに名前を貼り付けられた指定席で食事をする必要もなくなり、自由席となった。夏休み直前に帰省の都合で1日遅く寮を出た人々と過ごした夜みたいだ。まだ「進路相談帰省」という名の帰省をしていた人々が寮に戻るなどもしたが、減少は続いていく。

 私は受かるとはあまり思っておらず、まったくダメとも思っておらず少し期待を抱いていた程度の中央大学法学部に合格。これで行先は確定し、早稲田の社学は受験放棄。退寮まで決めてしまった。そして実家や祖母、夏休みに部屋を貸してくれた親戚などにこの報が知れ渡ると、人々は興奮して比喩ではなく泣いて喜んだという。このときは孝行できたわけである。中央の法科の名前は、年配者にほどよく響いた。

 そして合格退寮を前にして、隣室やその隣室の人々と他愛もない話などするのであった。


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