退寮の日
1997年02月24日(月)


 今日は退寮の日。この寮へ戻ることは二度とない。すでに荷造りはほとんど終え、残りを昼までに完了した。掃除も済ませた。荷物もカバンに入れた。あとは出るだけだ。収束。今までの1年間の生活はこれで終わる。思い出すことはあっても、もう現実ではなくなる。夢とは同じだ。そして、寮にいる今現在は、品川プリンスも釧路の家もまた、現実ではない。目の前にあるものだけが現実と感じられ、そしてその時その時はそれぞれ1度しかない。極めて自然なことだ。

 フリータイムで外出する。西内氏が挨拶に来た。握手。彼と会うことはおそらくは永遠にあるまい。もちろん、いつか、どこかで出会う可能性はあるが、これが最後であろう。彼も少し涙目だったような気がした。失礼ながら、何を言ったのかは記憶にない。ただ、外に出ていくとき、彼が窓から俺に「晴天ちゃん!」と声をかけて、手を振ったことは覚えている。
 東京工業の下見に行く田山氏も、また顔を見せた。「大学は人生の終点じゃないから、大学入ってからもガンバレ。短い間でよくガンバったな。明日は俺の大本命だから。ホントにガンバレよ!」 彼ともまた握手をして別れた。彼とも、おそらくは永遠に。

 父母が来るのを待つ。2時と聞くが来ず。飛行機の遅れなどいくらでも遅れることはある。俺はただ、窓際で変わって、本を読んだ。足音。聞こえたような気がした。もしや「■■」という氏名の表札に惑わされたか!廊下に出てみる。母がまた、階段を上ってきた。やはり裏返した表札のせいか。
 部屋に入って母は言う。キレイだ。何もすることがない、と。当然だ。母が携帯電話で父に連絡。父は中大の入学手続き書類が来るのを郵便局で待っているのだ。だから父だけが遅れてやってくるとのこと。しかし父と母が携帯電話でやりとりするとは、世の中変わっているな。

 ついに退寮。この2つしか使えない便所も、古びた洗面所も、見ることはない。ここでの生活は終わったのだ。やはり、さびしい。やはり、名残惜しい。だが、これで終わりだ。ただ、足を動かし、進んで、玄関に至る。寮監・寮母に挨拶。母はすでにお礼の品を渡しているらしい。つらいときはここの生活を思い出してね、と寮母さん。これからも頑張れ、大学はゴールではない、と田山氏と同じことを寮監さん。両国の優等生だった、と。彼らも名残惜しそうだった。寮母さんなど、両手で俺の手をとって、がんばってね、と。俺が一番まじめな寮生だった。やはり彼らはまじめに勉強する子が好きなのだろう。電気代までサービスしてくれた。また遊びに来てね、というがこの83寮は今年度で閉鎖。来年度は別の寮に行くという。そうか、この83寮はこれで最後か。ますますもっと、哀惜の情が湧いてくる。
 83寮を退寮。俺はようやくスタートラインについた。これからが勝負。大学時代は寝ているヒマなどない。能動的に難でもやってやろう!中央大学か。まるで他人事のようだ。試験はできたが、受かるとは。受かるかもしれないし、落ちても仕方がない。それくらいの気持ちだった。俺は本気で中大生となる気持ちをしていなかったのだろう。さて、これで何大生となり、どこへ住むのかもだいたい決まった。あとは実務的準備だ!
 
 中大法科合格で一族郎党は大騒ぎ。父と近所の伯父さんはワイン2本とビールをあおりながら国の誉れだ、三段跳びだ、口の軽い奴に言わなきゃならない、と喜んでわけのわからんことを話し、根室のあの伯母さんまで涙を流して喜ぶ始末。皆、歳を食って涙もろくなったか。中大の法ぐらいでそんなにも大騒ぎして、東京大学にでも入っていたらどうなっただろうか。とにかく、人に喜ばれるのは俺もうれしい。


この日のカネの動き

記録せず


解説
 これで両国予備校における浪人生活は終了した。中大法科という話で田舎の親類は大騒ぎをし、まったく大変なことである。また目の前の現実が移り行くことについて言及されている品川プリンスは、この日の宿である。父が郵便局で中大からの書類を待っているというのは、もう寮を引き払うから配達に持ち出される前に局で回収しようということなのだろうけれど、そういうことが出来るのかどうかはよくわからない(できたのだとは思うが)。
 そして寮監さん寮母さんともお別れ。つらいときには、ここのことを思い出してというのは、本当によく効く。両国がつらかったからではない。両国が充実しており、若き日を過ごし希望と共に暮らしていたからだ。まあ若さゆえの他者との軋轢やそれゆえの激しいコトバがあるのは抵抗があるが。
 そして、大学に入ったらどうしてやろう、という意気込み。確かに能動的に寸暇を惜しんで活動したが、そのエネルギーは学業には向かなかった。それについては失敗だとは思わないが、しかし学部で学び足りなかったという意識のため、語学学校に入り、予備校に通って大学院に進み、そしてまた大学院に行くことにもなるのであった。この時は知る由もない話である。

 なお、部屋の表札は、退寮になると裏返しにされたが、裏には昨年度の寮生の名前が書かれていたのである。


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