部屋探し
1997年02月25日(火)
今日は家探しの日。朝、別のホテルの父と合流し、下の食堂で朝食。学生服を含めて、いかにも受験生といった人々がいる。そうか、今日は国公立の入試か。俺と同じか1つ下か。年齢はともかく、同じ立場のはずなのに、何か先輩にでもなったかのようだ。
とりあえず中央大学へ。電車が新宿を離れると、距離と共に景色が田舎になってゆく。だが、このぐらいで驚いてはいけない。多摩動物公園駅を降りると、本当に山の中。その真ん中というか、てっぺんに中大がある。まさにヒルトップだ。
中大生協の不動産部へ。木造2Fだの、鉄筋2Fだの、低すぎる。小さすぎる。設備どころか建物が弱い。価格、もとい家賃6万円台がついているものもあるが、こんなチンケなところに6万円も出せないな!贅沢とはわかっている。しかしチラシで見たようなマンションに当たることなしに、このようなところに決めたくはない。「どこかで妥協しなればならない」とこの中から決めようとする父母を無理矢理連れ出し、チラシのところに当たるように言う。
満室多し。やはり遅かったか。と思ったが、別の会社にはいくつか空きがあつた。行ってみる。町田まで八王子で乗り換え。さすがに八王子は発展した地方都市だ。ここなら遊びに来ることもあろうアニメイトもあるしな。JR横浜線で町田へ向かうが、途中、車窓から見えるのは凄絶な風景だ。釧路というより別海だ。鶴居だ。山梨県に近いな。
■■なる不動産屋に着き、2つの物件を見せてもらうことになる。学生バイト(と明かしてはいけないらしい)の案内とともに電車で向かう。最初の物件は優秀な設備だったが、遠すぎた。2番目を無視して「■■」なる物件に行ってみる。もう母をはじめ我々は疲労していたし、「■■」の方がよさそうだ。善は急げ。
「■■」は駅から近く、コンビニも近くにあり、実によい環境だ。父の戦術で部屋を見る前にストップをかける。父は商売人だ。攻撃的ともいえる交渉で種々の点を点検する。しかしいらん書類をことさらに破って見せるのはあんまりだな。それはともかく父の商業的姿勢は役に立ったようだ。マンション「■■」■■■号室get!月々8.3万円のマンションだよ!すげー贅沢!父よ、母よ、ありがとう。そして許してくれ!
俺も疲れてはいたが、母はかなりキツそうだった。車で小口輸送の生活をしていたのだ。電車の移動や階段の上り下りはキツかったのだろう。かなり具合悪そうで吐きそうでさえあた。ムリはするなよ!すまんな、俺のために。
この日のカネの動き
記録せず
解説
部屋探しである。中大まで行き、そして八王子経由で町田まで行く。まだ多摩都市モノレールはなかった。横浜線沿線はまだまだ開発途上で、本当に田舎というか山みたいな風景だった。法政大学多摩キャンパスだったら、そちら方面だったのである。
そして大学生協の斡旋する物件がいかにも貧弱に見えて、入試会場で配られていた不動産屋のチラシのような立派なマンションに入りたいとして、実際に入居することになる。父母をせかして、繁忙期とはいえバイトを使い車も出さないような経営基盤の不動産屋に行き、価格は高く建物の背丈も高く設備は一見立派だが、住んでみると不都合ばかりの部屋に入居してしまうのであった。ここはチラシの華やかな設備に目を奪われた私の失策であった。わざわざ向こうからやってくるものは、往々にしてろくなものではないのだ。結局このマンションは1年足らずで退去し、市井の大手不動産屋に行って堅牢ではないが広く快適な2DKのアパートを借りるのであった。
それにしても、入学を決めたからといって、自分と同じ受験生相手に先輩気どりとは、まったく人間の気分というやつは物事が決まるとそうなるらしい。