受けた大学のほぼすべての合格して、私は中央大学法学部政治学科への入学を決めた。それから、晴れてシャバに出て釧路へ凱旋帰還し、札幌まで遠征したりもして旧友と再会し、1年ぶりのアルコールやゲームを楽しんだ。
大学入学後は棒術部に入り、稽古に勤しみ酒を飲み、二次元活動も満喫した。
大学1年の後期に入ったある日、思い立って83寮へと行ってみることとした。あらかじめ電話をかけてみるが、つながらない。もしや、とは思った。この日の講義をサボって、私はカメラ1つ持って八王子から文京区白山へと向かってみることとした。
水道橋で乗り換え、白山で降りる。懐かしい景色が続く。そして坂を上り、寮に至ったとき、そこには何もなかった。鉄板の囲いに囲まれた工事現場しかなかった。83寮はすでに取り壊されており、そこにはマンションが建てられるとのこと。
83寮は古い建物だった。両国予備校が土地ごと売却したのであろう。予想していたこととは言え、自分が艱難辛苦と充実の双方を味わった場所が、もうこの世のどこにもないと思うと、嘆息するしかなかった。まあ、取り壊すのがあと何年か遅くて、まだまだ予備校の寮として使われていようとも、私の人生にはほとんど影響はないのだが。
かくして、両国予備校第83同仁寮は、私の代を最後の寮生として消滅したのであった。 |