真説・釧路湖陵高校、胸像金銀彩色事件 |
↑ラッカーで金と銀に塗られた胸像(北海道釧路湖陵高校にて、1995/10/09撮影)
一夜にして、胸像、彩色される
1995年10月はじめ、我が母校釧路湖陵高校にふたつある胸像が、金と銀にラッカーで塗られていた。
このときまで、この得体の知れない胸像のことを気にかけていた者などいないだろう。それが地元紙にまで載る騒動になり、うちの高校の校庭は一躍釧路市の名所となったのである。もっとも、未だに私はこの胸像が誰なのか知らないままだが。
最初私や伊佐坂などのダメ人間仲間は、「学校が目立たない胸像を、わざわざ業者に頼んで塗ったのだろう。なかなか粋な計らいだ」などと感心していたものだった。何しろ、一夜のうちに塗色されたようで、ある日の朝登校したらこのザマだったのだ。情報などまるでなく、この事情についてはおもしろ半分に推測するしかなかった。
ところが、その日の朝のホームルームで、担任までもが「驚いた」「職員会議でも問題になった」などと言いだしおる。いったい、どこの誰がこんな奇抜なことをしたのか?湖陵高校だけではなく、釧路市内でもそれが一時の話題になった。
写真撮影成功!
学校は何日かして胸像をビニールシートで隠したが、その前に私は常に持ち歩いていたカメラで撮影するのに成功した。上の写真は金銀の胸像をとらえた貴重な一枚である。
他にも、左の写真のように胸像の鼻に指を突っ込むまねをしたり、何人かで胸像と同じポーズで並んだりして、大笑いしながら写真を撮りまくった。 |
放課後すぐのことだから、掃除中の連中や教室に溜まっている生徒、下校途中の人間などのほとんど大半の生徒が向ける奇異の視線の前で、この奇行は行われたのである。
この話は当然瞬間的に広まり、 |
言っておくが、私らバカ一派の犯行ではない。
確かに、高校時代の私たちならば好きこのんでやったであろう行為だが、残念ながらそんな発想はできなかった。
終息、そして何事もなかったように
「あの方が目立つし見栄えもいいから、金銀のままにしておこう」
このような声も少なくなかったが、学校当局は銅像の修復を決定。今度こそ業者の手によって、胸像はふたつとも元の何の変哲もない灰色にもどった。
私たちが卒業する前のことだったと記憶している。
確かにあのままでは銅像の地が痛むし、ラッカーがはげてみっともなくなっていっただろう。それはわかるが、金銀の胸像が元に戻ったのは残念であった。
この「胸像金銀彩色事件」を思い出す者は、今では古株の部類に入る先生と、すでに大学や社会に出ている当時の在校生だけであろう。
実際にあの場に居合わせ、噂に耳を傾け、「犯人」について思考を巡らした当時の生徒や先生にとっては、これは湖陵高校に於いて最も印象的な出来事となった。
しかし、それも時間と共に、何かの拍子にちょっと思い出す程度のことになっているであろう。
いかに「奇人」たるかを競い合った高校時代。 |
文責)95年度卒業生、本日晴天
後日談
この事件の「犯人」については在学中に大体のことは耳にしていた。しかし、それに関して比較的信頼できそうな情報が手に入ったのが、大学3年の今年(1999年)である。
伊佐坂の通う大学の学友(高校では後輩だったらしい)が、クラスの仲間内で銅像を塗装することを計画し、そのうちのひとりが先走って一夜にして「犯行」に及んだとのことである。
ま、実際に私がこの目で確認したわけではないので、真偽のほどはわからない。だが、「事件の真相」としては、こんな感じでいいだろう。