「東鳩」特設ページ
「『相対化の時代』に於いて」
文責)本日晴天
1
東西冷戦は決して全面戦争となることはなかった。
冷戦とは、米ソ首脳が互いの利益を守るための勢力ブロックを保持するためのシステムであるからだ。しかし、局地的に冷戦は熱戦となる。軍需産業に需要を創出するためには兵器の在庫処理が為されねばならず、米ソは戦争を必要としていた。減価償却の不要な兵器を生産しては破壊し、また生産する。これほど効率よく経済を循環させる行為は他に存在しない。
そうして冷戦の最中、米ソの相互安定のためのスケープゴートとなったある紛争地域に、ソ連は試作兵器を投入した。その兵器の名はВСН−12Марти(ヴェー・エス・エヌ・ドゥヴェナーツァチ・マルチ)。
Военная Служанка Народу−軍用人民奉仕者と名付けられたこの兵器は、既存のあらゆる兵器とは違った開発コンセプトを有していた。
主動力源は直列6気筒ディーゼルエンジン。これは主に発電に用い、電力によって駆動する。エンジン停止時も、鉛蓄電池によって6時間の行動が可能だ。これにより、ソ連兵器としては希有な静音行動が実現した。
駆動はもちろん電磁モーターによって行い、モーターは可動部分各所に複数取り付けられている。モーターの同調制御にはCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)に違反して輸入された、日本製マイクロチップを使用。滑らかな動作を可能にするボールベアリングは、軍事偵察衛星よりも精巧なものをふんだんに組み入れた。これは、民生品として輸入された日本製ビデオカメラをたたき壊して取り出したものである。加工にはもちろん、東芝から輸入した高精度工作機械を使用し、外面の仕上げは従来にないほどの滑らかさを誇った。
固定武装はなく、5.45o×39突撃銃、及び9o×18機関短銃を外付けで装備可能。用途は対人攻撃が主である。しかしこの兵器の武器は、銃器等の武装がすべてではない。むしろ、火器は補助的なものでさえある。
この新兵器の最大の武器は、その外見等から敵兵士に与える心理作用である。その効果については、これから書き記すシベリアに於いて極秘裏に実験されたデータを参照して欲しい。
サボタージュ、及び党本部批判の罪で強制労働に処されていた政治犯、ネミャーノ・モエモエーヴィチ・イササカニコフにRPG-7対戦車ロケットを与え、勝利の際の釈放を条件に、試作兵器と戦闘を行わせた。RPG-7は複合装甲を施していない試作兵器を破壊するのは、十分な武器である。
試作兵器「あ、あの・・・、その、死、死んで下さいッ!!」
イササカニコフ「おお!殺してくれ!思う存分に撃ってくれぇ!」
結果は試作兵器の一方的な勝利であった。イササカニコフ政治犯は武器を投げ捨て、自ら射殺されることを望み、試作兵器の装備したスチェッキン機関短銃の一斉射で絶命した。これが試作兵器、マルチの威力である。
2
大地主からなる少数の富裕層が政治を支配し、大土地所有制による搾取構造に対して反旗を翻した共産勢力が政府打倒を画策する、ある途上国。人口の9割以上が農民であり、政府軍は農村から兵士を徴兵せざるを得ない。しかし、政府軍は続発する下級兵士の反乱、逃亡、破壊工作に悩まされ続け、共産勢力への前線部隊には傭兵を用いていた。モノカルチャー経済によって得た収益は、ほとんど国民に還元されることはない。先進国の多国籍企業と結託して国内の人的資源・天然資源を独占する権力層にとって、傭兵を雇うことは不可能ではなかった。
ソ連は、この国を試作兵器の実験場とした。
そしてまた、名もなき傭兵部隊が試作兵器マルチに殲滅されようとしていた。
「奴に肉薄すると、どいつもこいつも、為す術もなく射殺される。これはいったい、どういうことなんだ!」
B分隊全滅の報を聞いたスターマン少尉は、あおっていた水筒を地面に叩き付けた。ベトナムではチャーリー・キラー(ベトコン殺しの意)の異名をとり、除隊後も戦争を求めては紛争地帯に身を投じていたスターマンに、この事態は理解できなかった。
あの新兵器の前では、誰もが棒きれのように銃を投げ捨て、逃げることもあがらうこともせずに射殺されるのだ。近づくだけで戦意を喪失して射殺される。あの兵器は、ソ連の開発した精神に作用するガスでも散布しているのだろうか。
「斥候からの連絡です。例の兵器がこちらに向かって来ているそうです」
無線手のイェーチー伍長が報告する。奴がこの野営地に向かってくるというのか。
傭兵の支給金など安いモノだ。週末にビールでも飲んで、身の回りの品を揃えればなくなってしまうような金額だ。アメリカならば2〜3日と生活できまい。支給金は命をかけられるような金額ではないが、スターマン少尉は戦うために戦地に身を投じた人間だ。兵士の背丈よりも小さいたった1機の兵器を前にして、逃げるという発想はできなかった。
「ヘイマン軍曹!」
スターマン少尉は小隊の残り半分である、A分隊を預けている下士官を呼んだ。
「貴様に、あの兵器の狙撃を命ずる」
スターマン少尉はテントから1丁のライフルを取り出した。鉄と木で出来た、古くから使われているボルト・アクション式のライフルだ。機構はまったくもってめずらしいものではなかったが、そのサイズは尋常ではなかった。銃身は太く肉厚で、とても重そうに見えた。
「これは俺がヒマなときにハンティングでもしようかと、鉱山会社のボスから借りたものだ。あの機械人形の材質が何だか知らんが、こいつの弾丸ならば奴を破壊できるはずだ」
その銃は、ウィンチェスターM70。それも.458ウィンチェスター・マグナムを使用するビッグ・ハンティングの専用品だ。猟銃としては世界有数の威力を持ち、スターマンら傭兵部隊に与えられたFN・FALに使用するNATO弾の、2倍もの発射エネルギーを誇る。
「貴様はこの銃を持って、あそこの丘の上で待ち伏せしろ。俺が貴様のA分隊を率いておとりになる。貴様は遠距離から奴を撃て!俺が何故貴様を選んだか、わかっているな?貴様がもっとも優秀なスナイパーだからだ!」
ヘイマン軍曹は、スターマン少尉の差し出した猟銃を、両手で受け取った。
「は!一命に換えましても任務を遂行いたします」
スターマン少尉らA分隊はおとりとなり、マルチをヘイマン軍曹が待ち構える丘のふもとにまで誘導しつつあった。丘の上からは絶好の狙撃の的になる。
ヘイマン軍曹は、スコープでマルチを捉えた。緑色の髪と耳のセンサーがなければ、まるで人間の子供だ。あんなパブリック・スクールの生徒のようなロボットに、何故B分隊はやられたのだろうか?隊長の言うように、なにか化学兵器でも撒いているのだろうか?いや、それならば何で人型の、それも少女のような外見にする必要があったのだ?
ヘイマン軍曹は考えるのをやめた。任務は奴の確実な撃破だ。やらなければ、A分隊は全滅する。
深呼吸をし、引き金に指をかける。
微弱な風速と目標の移動速度を考慮し、標的の少し前方に照準を合わせようとする。しかし、標的から眼を離せない!何故だ!?
二足歩行技術が未発達なのか、標的は時折りつまずきそうになる。標的が歩行している場所は荒れ地であり、歩く先には大きな石も少なからずある。足下にある予想外の石に気づかず、また標的はつまずきそうになる。ああ、また標的の進路には、奴がつまずきそうな石がある!
そうか、俺はあいつが心配で眼が離せなかったのか。
標的がこちらの方を振り向き、微笑んだような気がした。距離は500。カモフラージュを施したこちらに気付くはずはない!しかし、そんなことはどうでもよかった。
「美しい・・・」
ヘイマン軍曹は引き金の指をはずし、トリガー・ガードにかけた。
「ダメだ・・・。俺には撃てない。美しすぎる・・・」
そのとき、傍らに置いていた無線は、オープンになっていた。
3
ソ連は経済の行き詰まりを背景に改革派が勢力を伸ばし、マルタに於いてブッシュとゴルバチョフは共同宣言を行った。かくして冷戦は終わり、やがてソ連は経済政策を転換。これは連邦の要であった共産党支配の崩壊を意味した。そうして、ソ連は解体した。
あの小国では、共産勢力は単純に反政府勢力と名を変え、未だに内戦が続いているらしい。反政府勢力はソ連からの武器の供給を絶たれたが、いくつかの鉱山を占拠して多国籍企業から武器を購入するようになり、政府軍と資源を奪い合って泥沼の戦いを繰り広げているという。。
ヘイマンは傭兵稼業から引退し、ウェールズの田舎町で戦争体験をもとに冒険小説を執筆していた。さほど売れているわけではないが、なんとか妻子を喰わすことは出来ていた。
その日、妻のコトネは娘をスウォンジーの学校に迎えに行っていた。この日は、娘が寮から帰省する日だった。あいにくヘイマンは雑誌の連載の締め切りがせまっており、一人自室でタイプライターに向かっていた。
玄関の呼び鈴が鳴る。
こういうときは、電話が鳴っても客が来ても妻に任せ、自分は机から動くことはない。しかし今は、コトネはいない。また呼び鈴が鳴る。まさか編集者か?それとも、突然親戚でも訪ねてきたのだろうか。いずれにせよ、こんな街から離れた場所に来るとは、それ相応の用があるのだろう。ヘイマンは仕方なく机を立った。
客は親戚でも編集者でもなかった。しかし、それ相応の用があることは容易に想像できた。
「久しぶりだな、ヘイマン軍曹。いや、もう元軍曹か」
客は小隊で一緒だった、イェーチーだった。
「あのときのことで話があるのだけどなぁ」
イェーチーは、噛んでいたガムを吐き捨てた。
「ああ。俺のせいで小隊は・・・。言い訳などしようとは思わない。そのことについて俺は1日たりとも忘れたことはない・・・」
ヘイマンは床に吐き捨てられたガムを見ながら、そう言った。
「俺はなぁ、そんなことを聞くためにイギリスくんだりまで来たわけじゃあねーんだよッ!!」
イェーチーは、コートのポケットから自動拳銃を取り出した。32口径か。すぐには死ねなさそうだな。ヘイマンはそんなことを思った。
「カンベンしてくれ・・・。戦争中の話じゃないか。俺にはもう妻子がいるんだ。娘のセリカは今年パブリック・スクールに入ったばかりだ。頼む・・・。今俺が死んだら・・・」
イェーチーはこれ見よがしに拳銃に初弾を装填した。作りの粗雑なスライドが、フレームとの摩擦に堪えながらスプリングの力で元に戻る。
「なんで殺されるのかわかってないようだな。あのとき貴様、言ったな。『美しい』と。無線手だった俺にはよく聞こえていたぜ!」
床を見ていたヘイマンは、弾かれたように顔を上げた。
「聞こえていたのか・・・。もう、カンベンしてくれ!殺すのなら、とっととやってくれ!!」
ヘイマンは思わず叫んだ。イェーチーがその顔に銃口を向ける。
「『美しい』じゃねーだろ!マルチは『かわいい』だろ!!何寝言抜かしとんじゃあ、オンドレは!」
イェーチーが引き金を引こうとした瞬間、ヘイマンは突きつけられた拳銃に横から張り手を叩き付けた。発射されたタマはヘイマンの脇の壁にめり込む。そしてすかさずイェーチーに突進する。イェーチーを玄関の外に押し倒し、拳銃を持つ手を押さえ込む。そして馬乗りになって何度もイェーチーの顔を殴りつける。やがてイェーチーは抵抗しなくなり、意識を失った。
イェーチーの手から拳銃を引き剥がしながらヘイマンは言った。
「美しいものは美しいのだ。アレは芸術品だ。機械人形に『かわいい』などと・・・」
「黙れ!マルチは機械人形なんかじゃない!」
意識を失っていたはずのイェーチーが突如、ヘイマンの右腕をつかんだ。ヘイマンは、イェーチーの手から引き離した拳銃を左手で遠くに放り投げ、再びイェーチーにのし掛かって殴った。
「このキ×ガイが。機械は機械だ。芸術品は芸術品だ!」
「いいや、マルチは女の子だ!女の子を『かわいい』と言ってなにがわるい!」
二人は、コトネとセリカがもどってくるまで、延々と殴り合った。
ヘイマンは妻子に対し、歯が折れ、固まった鼻血で顔を赤黒く汚したイェーチーを、「古い戦友だ」と紹介したという。二人は、「マルチは美を感じさせる芸術品であり、また、かわいらしい女の子の精神を宿してもいる」との結論に達し、これにて合意したとのことだそうな。
完
これを書いたのは、私がまだ大学の3年生かそこらだったときのこと。ソ連製軍用マルチという発想は、速水螺旋人先生の「Back in the USSR」の黒鉛チャンネル炉搭載マルチから着想を得ています。それから5〜6年して、私がロシア語を専門とするようになり、ロシア語関係界の縁で速水先生と、ネット上ではありますが、邂逅することになるとは思っても見なかったことです。ロシア関係者にここを見られたら、これ以上恥ずかしいことはないですが。まあネット上に数年間も公開している以上、今さら恥もなにもあったものではないですが。
2005.10.22