last up date 2010.04.19
名前 |
プティ |
|
性別 |
オス |
|
生没年 |
1983〜1984? |
|
出自 |
捨て猫 |
|
別離 |
行方不明 |
1,出会い
そもそものはじまりは、カゴに入れられた生まれてまもない仔猫がゴミ捨て場に捨てられていたことであった。これを従姉とその友達、私の姉の3人が見つけた。従姉は伯母さんに飼ってもいいか聞いたそうが、返事は「ダメ」。それで3人は、猫を泣きながら草むらに隠した。彼女らは、「3人で世話をしよう」と決めて、交代で牛乳やエサを持っていくことにした。ちなみに、次の日行ってみるとカゴだけなくなっており、仔猫だけがもとの場所に置いてあったとのこと。日本は豊かな国だと思っていたが、たかがカゴ1つのために、仔猫を唯一の拠り所から放り出す輩がいるとは。
さて、姉は朝から落ち着かず、パンや牛乳を見つからないよう持ち出していた。だが、その様子に母が感づいた。結局仔猫は母に見つかり、「ちょっとだけ」「もらい手が見つかるまで」という約束で、姉は子猫をうちに連れて来ることに成功した。我が家の敷居を越えて屋内で飼われ始めた段階で、この子猫は必然的に我が家の一員となった。その子猫は姉に「プティ」と名付けられた。
プティは本当に目が開いてからさほど日が経っていない子猫だった。よく、カゴの中で死ななかったものである。それどころか、こんな小さな子猫を人間が育てることも難しい。母がパンに牛乳を浸し、それを吸わせて育てた。加工品の牛乳は、母猫の母乳に比べると栄養価に劣る。それでも母がプティに限りない温情を持って世話したのが実ったのであろう。プティは無事に成長することが出来た。
幼いプティは、最初は廊下で育てられた。プティが拾われてから、先住猫ミーコと出会うまでにはタイムラグがあった。プティを初めて居間に入れたときのミーコの驚きようは、絵に描いたようであった。やっとこさ歩いている白に黒斑の小さな物体を目にしたミーコは、寝ていたはずが本当にジャンプして飛び起きたほどである。しかしミーコは、プティの匂いを嗅いだと思ったらプティをなめだし、それ以来息子か弟のように世話するようになったのである。
撮影日不明。ミーコと一緒。
2,猫となり
先住猫のミーコは賢い猫であった一方、プティは少々抜けた猫であった。物心付く前から人間の手によって育てられたためだろうか。外から帰ってきて、ベラ
ンダで「入れて」と鳴くときも、ミーコは人影が見えるまで鳴き続けたが、プティは一声だけ鳴いて、それから窓が開けられるまで黙って待っていたものだった。北海道の氷点下十何℃の中、ヒゲを凍らせ、白い息を吐きながら、黙って待ち続けているとは。鳴かなければ気づかないのに。
プティは、風呂の残り湯で溺れかけることもあった。風呂の湯を保温する覆いの上に乗ったのだろう。それが何かの拍子に風呂の縁から外れて、プティは風呂に落ちたらしい。運良く(サイズを考えれば必然か)風呂の覆いは完全にバスタブに落ちなかった。風呂の縁に対して斜めの坂となり、プティはそこをよじ登って出てきたのであろう。
家の者が皆寝静まった後のことであったので、この場面を目撃した者はいない。しかし、朝起きるとプティが雨に濡れたぬいぐるみのようになっていた。風呂の覆いは外れており、風呂のドアの前は水たまりになっていた。風呂から這い出してきたプティが身を振るわせ、ここで水気を落としたのは明らかだった。
さらにプティはオスだった為、他のオスにケンカをふっかけられることもよくあった。だが、幼いときから人間に育てられた為、プティはケンカのやり方さえ知らなかった。他の猫によく追いかけられていたものだった。それをミーコが助けに入って、よそ猫を駆逐することもあった。さらにある日、プティはまたどこぞの猫にケンカをふっかけられ、プティは何を思ったかひっくり返って腹を見せた。動物にとって最も見せてはならない腹を。それを見た伯母が助けに行こうとして転倒し、アキレス腱を切る騒動もあったほどである。
1983.04.29撮影。唯一のプティ単独の写真。
3,別離
プティのその最期は不明である。いつものように外出してから、二度と帰ってこなかった。交通事故か、野犬にでも襲われたのか、心ない人間に殺されたのか、わるい物でも食べたのか。その最期はいくらでも考えられるし、考えてもどうにもならない。ただ、もっともありそうな死因としては、野犬対策用の毒が考えられた。
当時、釧路の街には野犬が跋扈していた。それに対して行政は、野犬狩りの為に毒物を混入した肉を撒いていた。それにやられた可能性が一番強いと母に聞かされた。近所の家で飼われていた猫は、家に帰ってきたものの様子がおかしく、動物病院に連れて行ったところ野犬用の毒物が検出されたという。その家の猫も、助からなかった。犬をも殺す毒に、猫が耐えられるわけはない。この話を聞かされたときは、保健所に火をかけようと思ったほどである(※)。これは、私が小学校の1年のことであった。
ちなみにプティが消息を絶つ1ヶ月前、プティはうちのベランダにて白い仔猫を伴って、家の者が窓を開けるのを待っていた。その仔猫こそが後に当然のごとくシロと名付けられることとなる猫であった。
※保健所に火を・・・
幼少期に飼い犬を保健所で処分されたことを怨みに思い、厚労省の役人を凶刃にかけた異常者が出たので余計な注記を。
6〜7歳の子供が、可愛がっていた猫が保健所の毒のせいでやられた(かもしれない)と思うと、「ホケンジョ」とやらが悪の秘密結社のように思えるのは無理からぬことである。子供心に、「ホケンジョという悪の秘密結社」を成敗したいと思ったことはあったが、そうした空想はあくまでどこにあるとも知れぬおどろおどろしい「建物」を滅ぼす想像でしかなく、そこで働く「人」をどうこうする想像ではなかった。
もちろんこれは、もののわからない小学1年の小僧が、やり場のない悲しみを慰めるために生んだ罪のない空想に過ぎない。しかしそうした空想を40過ぎまで持ち続け、あまつさえ厚労行政に関わっていたというだけのどこにでもいるごく平凡な「人」を怨みに思い、殺意を抱くなど狂人の所業以外の何者でもない。両者はまったくもって別種のものであることを、誤解のなきよう。