last up date 2005.03.15

名前

シロ

性別

オス

生没年

1983?〜1992.07.02

出自

野良猫

別離

病死

1,出会い

 シロはプティに付いてきた猫と言われている。シロがうちにやっときたとき、完全に大人になりきっていない猫だった。最初母は、近所に出没していた「ソックスにゃんこ」と間違えた。もう覚えていないが、同じような背格好で、足だけ色のついた白猫が近所にいたのだ。だがよく見ると真っ白く、尻尾の曲がった別猫だった。
 当時我が家にはすでに、ミーコとプティの2匹が暮らしていた。もう母はこれ以上猫を増やす気はなかったに違いない。エサをやっているうちに実家に居着くようになってしまったが、ミーコのときと違って母はシロを家になかなか上げなかった。冬が来てもだ。しかし母は縁の下にバスタオルや布きれを敷き詰めた発泡スチロールの箱を用意し、そこをシロの寝床として提供した。しかも寒さが厳しいのを哀れんで、毎日湯たんぽを入れさえしたのだ。我が家と隣の一家の双方が留守にするとき、祖父の世話にやってきた別の伯母にさえ、湯たんぽの交換を頼んだと、母は述懐している。
 湯たんぽ入りの小屋で一冬過ごしたシロも、結局は家猫になる。隣の一家がうちにやって来たときに、試しに入れてみようという話になったのだ。シロは根っからの野良猫なので、エサをもらっても人に慣れてはいなかった。だから屋内に入ることも、シロにとっては恐ろしいことだった。ベランダの窓を開け、家の誰もが石のように動かず息を殺していたら、シロは入ってきた。だが、少しでも動くと慌てて外へ逃げ去った。シロが家に入ってからベランダの窓を閉めてみたら、慌てて外に出ようとして窓ガラスに激突するようなこともあった。だが、シロはミーコが好きだった。ミーコの側に行きたい一心で、家に入っていたようなものだ。まだ子猫の域を脱していなかったシロにとっては、ミーコの側にいることは安心できることだったに違いない。ミーコも寛容だった。自分に寄ってくる子猫をいじめず駆逐せず、世話をしていたものであった。このようにして、家に入ることを繰り返しているうちに、シロもいつの間にか家で寝食を共にする猫になっていた。


 ちなみに、ミーコ、プティ、シロの3匹が同時に実家近辺に存在していたことは覚えているが、3匹が同時に家の中で生活していたかどうかについては、記憶にない。



撮影日不明。シロはあっという間に家に慣れてしまった。


2,猫となり

 オス猫であるシロは、外で活動することを好んだ。メス猫を追い掛け、なわばりを巡回し、他のオス猫を駆逐するのに時間をかけ、家にいる時間よりも外にいる時間の方が長かった。その一方で、帰宅したシロは安心しきって、死んだように眠っていた。何をされてもひっくり返しても、されるがままだった。シロは私の姉が最も好んだ猫で、姉が眠っているシロを負ぶってその上からカーディガンを羽織っても、嫌がりもせず、人間の赤子のように黙って負ぶさっていた。嫌がるどころか恍惚の表情をし、喉を鳴らして喜んでいたという。シロは構って貰うのが大好きな猫だったのだ。
 生まれてから2〜3ヶ月の時期に人間と接することを覚えないと、その子猫は生涯人間に懐かないと称する人もいるが、シロに関してはその限りではない。確かに、根っからの野良猫であったシロが人間に懐くのには時間が掛かかった。けれども、家の中でのシロは、人間に甘えて触られるのが大好きなのだ。
 シロはミーコやプティと違ってフトンの中には入ってこなかったが、母の枕元で眠ることを好んだ。2〜3日家を空けて外をほっつき歩くシロは基本的に、汚い。毛が白い時期など、毛の生え替わりの時期を除けば、ほとんどなかった。いつでも薄汚れたグレーの猫だった。そのシロが母の顔に擦り寄って眠るのだから、母は堪ったものではなかったろう。母がシロから顔を遠ざけるとシロは母にさらに擦り寄り、そんなことを繰り返しているうちに、シロが母の枕の上で最高の幸せそうな表情をして眠り、母は枕から駆逐されていることがよくあった。
 このシロがどれほど汚かったかというと、近所の猫好きなおばさんがシロを指して「可哀想な野良猫がいるの」と話していたほどである。



1992.05.05撮影。これは飼い猫だとはなかなか思われない汚さ。


3,別離

 プティが帰ってこなくなり、ミーコが老衰で息を引き取り、4匹目の猫であるチビが夭逝して、シロは我が家に於ける唯一の猫となった。シロも何度も病気を患い、医者に連れて行ったこともあった。当時の動物病院は、血統書もなく予防接種も受けていない小汚い猫も、受け入れてくれた。何度も死にそうになりながらも、シロはそれなりに長生きをした。
 だけれどもシロは老衰で死んだわけではない。やはり病気で死んだのである。道路ではなかったと思うが、猫が寝るなどありえないような場所でシロが倒れていたのを母が発見し、母が連れ帰ったとき、シロはひどい高熱を出して、呼吸も脈拍も早かった。動物病院に連れて行っても、治らないと言われた。ならば家で、家族に囲まれて最期を迎えた方がよい。帰って部屋に寝台を用意し、その上にシロを寝かせた。このまま衰弱して死んでいくのだろう・・・と思ったら、奴は高熱を抱えながらも外へ出ていった。
 昔の猫がそうであったように、死骸を晒さず、どこか死に場所を探しに行くのかと思った。が、奴はメス猫を追い掛けていた。最期まで奴は外を巡回していたのである。出て行くたびにちゃんと帰ってきてはいたが、それでもやがて寝たきりになり、その数日後。朝になって家族が起きたらシロはすでに冷たくなっていた。1人寂しく最期を迎えたとなると可哀想な気もするが、いつ死ぬともわからぬのに付きっきりで徹夜する訳にはいかない。まあシロは、オスとして外を好き放題闊歩する自由を享受しつつ、家猫として最大限人間に甘える幸福も享受した。シロもまた、幸福な猫であった。



1992.05.10撮影。この当時はもう大分病で弱っていたが、それでも外を歩いていた。


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