last up date 2005.03.15

名前

チビ

性別

メス

生没年

1990?〜1991.10.01

出自

野良猫

別離

病死

1,出会い

 我が家に於ける4匹目の猫であるチビは、当時うちの周りを跋扈してクロが連れてきた猫だ。クロは四六時中うちの周囲にいて、部屋に入れてやったらそのまま居着いた猫である。だがクロがうちの近所を歩いていたら、本当の飼い主とおぼしき母娘が「クロ〜、こんなところに居たの」と声をかけた。それを聞いたクロは嬉しそうな鳴き声を挙げてその母子に付いていった。それからもクロは、真新しい首輪を付けて数度はうちに来たが、やがて来なくなった。クロは一時は我が家でくつろいでいた猫だが、よその猫なのでうちの猫にはカウントしない。


 そのクロが本当の飼い主に連れて行かれる以前のこと。クロはベランダで当然のように「入れろ」と鳴いて、家族の誰かがベランダの曇りガラスを開けたとき。クロは一匹の小さな子猫を連れていた。目が開いたばかりの状態で捨てられていたプティよりは、大きかった。それでもかなり小さな子猫だった。クロと一緒だったチビは、割とスムーズに家に入ったような気がする。だが、チビがはじめて家に足を踏み入れたときのことは家族に聞いても誰も覚えて居らず、具体的なことはわからない。
 クロとチビは当然のように家に出入りしていたが、これ以上家猫が増えることをよしとしなかった母は、2匹をそれほど長居はさせなかった。特に、クロとチビを家に入れたまま夜を越させはしなかった。最初はシロと同じく縁の下に箱を置いて、そこでクロとチビは夜を過ごした。だが冬になると、例によって母は寒い中外に出すのが可哀想になり、今度は車庫にダンボールを置いてその中で2匹を寝かせることにした。夜になると母が防寒具で完全武装して湯たんぽを持って外に出ると、当然のようにクロとチビが我先にと車庫に走ったことを覚えている。後から庭を削って付け足したこの2台目用の車庫は、物置を兼ねられるよう長く出来ており、3ナンバーの大型車を入れても前方にはかなり広い空間が出来たのだ。さらには庭の側に人間が出入り出来る小さなシャッターもついている。この出入り口から、クロとチビは出入りしていた。
 余談だがこの車庫は、後にミルやサーシャと繋がる系譜の猫も住処とし、現在も実家は引っ越したにも関わらず、物置部分だけ切ってフタをした車庫を新居横に運んで、現在もサーシャの寝床になっている。


 このようにクロとチビは車庫で眠っていた。多分クロがいなくなって、チビだけになってからも、しばらくはそうしていたはずだ。だが、いつだったかチビが夜になっても「出ない」と抵抗するようになり、母が折れて「一晩だけ」「洗面所だけ」という条件をつけてチビを一晩過ごさせたのだ。そうなればもう、二度と車庫になど戻るわけはない。かくしてチビは家の猫となった。


1990.01.11撮影。クロと一緒に部屋で眠るチビ。チビは頭の毛の一部だけ黒い。


2,猫となり

 チビは、いつまで自分の母猫と過ごしていたのかはわからない。が、母親代わりのクロとしばらく過ごしていた為、プティのように猫として常軌を逸した猫ではなかった。じゃれさせればじゃれるし、膝を叩けば膝に乗るし、夜になったらフトンに潜り込んでくる平凡な猫だった。というよりも、あまり詳細に猫となりをかけるほど一緒にいられなかった。



1991.01.11撮影。晩年のミーコとともに。


3,別離

 チビは健康な猫ではなかった。生まれたときからの体質か、乳児期の栄養が足りなかったのか、体格が小さな猫だった。チビに関する記憶に多くは、洗面所に専用寝台を用意し、そこで苦しむチビを母がなだめている光景だ。とても出産なんかできない体格なのに、まがりなりにも成猫となったチビは妊娠しては流産を繰り返した。その度にチビは一晩中悲鳴を上げて苦しんでいた。また、チビは病気にも苛まれ、医者に連れて行って手術をしたこともあった。だけれども結局は、苦しんだあげくに、夭逝してしまった。ある朝起きたら、チビは死んでいたのである。
 正直なところ、チビは我が家が飼っていた猫の中で、最も不幸な猫なのではなかろうか。ミーコやレオほど長生きしたわけでもなく、シロほど奔放に生きたわけでもない。苦しむことばかりで、短い生涯を閉じた。だけれども、クロについてきたこの猫に、我が家の人間がエサを与え、湯たんぽと車庫を提供しなければ、とっくに飢えや寒さで死んでいたかもしれない。それに短い間とは言え、人間の膝の上で丸くなってノドをならし、夜はフトンに潜って眠り、安全で物憂げ無い家の中で暮らした。最初に懐いたクロだけでなく、ミーコもシロもチビを駆逐することもなく受けいれ、多くの猫にも愛された。我々は出来ることはすべてした。「幸せだった」と手放しには言えないが、チビもまた、当猫が持てる運命の範囲ではそれなりの幸福を享受したはずだ。そう思いたい。



1991.01.11撮影。


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