last up date 2005.03.15
名前 |
レオ |
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性別 |
オス |
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生没年 |
1992.04.15〜2003.07.31 |
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出自 |
ペットショップ |
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別離 |
老衰 |
1,出会い
かつてはクロも入れると4匹、入れなくても3匹もの猫が、同時期に我が家でひしめいていた。だが、シロを最後に、皆いなくなった。だが、猫がいないなどということは、当時まだ若かったこの家族には考えられなかった。今までの猫はすべて思いがけずやってきた(あるいは拾った)猫だが、今回は自分達の意思で猫を調達する。問題は、その時期であった。
シロが何よりも好きだった姉は大学進学の為釧路を離れていた。シロが死んですぐに新しい猫を買ったとあっては、姉は怒る。だから1週間は開けようという話になっていた。けれども、シロが死んだ翌々日。私は母に連れられて、「猫の下見」をしにペットショップへと出掛けた。私は本当に下見のつもりだった。1軒目のペットショップに私が目当てだったロシアンブルーがいないことを見ると、私はそこを立ち去るつもりだった。だが、母は一匹のアメリカンショートヘアから離れなかった。ケージの隙間から手をいれると、小さな小さなツメでじゃれてきた。店員がこの猫を母に抱かせると、この世で唯一の寄る辺であるかのように母に抱きついてきた。これでもう母は、クレジットカードでこの猫を買ってしまったのである。
ケーキのように厚紙の箱に入れられ、車で我が家に運ぶまでの間、この猫はか細い声で鳴いていた。家について箱から出すと、辺りの匂いを嗅いで探検を始めるが、どこへ入っても落ち着かず、結局ボイラー室のコンクリートの上で寝てしまった。そこが人に触れられることもなく、一番落ち着いたのかもしれない。母がボイラー室のコンクリにバスタオルを敷いてやり、この猫は数日の間はそこで寝起きした。だが、そうしているうちに家に慣れ、ここそこで寝るようになった。
ちなみに母は、姉に新しい猫を買ったことを隠していた。しかし姉は感づいていた。毎日のように母から掛かってきた電話が、ある日を境になくなったからだ。そしてシロの死後1週間後、母は姉に電話をかけ、「いいもの聞かせてあげる」と言った。このセリフで姉は確信した。猫の声か寝息を聞かせるに決まっている。案の定、母はソファーか電話台で眠る猫の口に受話器を近づけ、寝息を聞かせたのであった。
「レオ」という名前は母がつけた。私は当初を様々な名前を考えたが、私の考えた名前はどれも呼びにくく、複雑だった。どんなものを挙げたかと覚えていないが、どうせ「ルドルフ」とか「アレクサンドル」とか偉人めいた名前を考案したに決まっている。結局母が「レオ」と呼ぶうちに、レオに確定してしまった。
1992.07.30撮影。買ってきて十数日目のレオ。
2,猫となり
レオは、猫ならやるだろうと期待したことを何もしなかった。フトンには入ってこなかったし、それどころか膝にさえ乗らなかった。どうも人間に触られるのが気に食わないらしく、だっこするとすぐに嫌がっており、撫でてもノドを鳴らすことは滅多になく、それどころか撫でられたところを舐めて見せた。このレオの猫となりを表すと、傲慢でプライドが高いが、小心者で繊細な猫だった。
傲慢な猫だった。目の前を人間の脚が通るのが気に障るようで、よく人間の脚を捕まえて噛みついたものであった。この噛みつきは本気で、出血することさえ珍しくなかった。まあこれはレオが若い頃に限定され、年を取るにつれて人間の脚を囓ることは少なくなったが。もっと猫に冷淡な家が買っていたら、この段階で捨てられていたかもしれない。
さらにはエサを与えても、気に食わないエサだったら前足で砂をかけるようなそぶりを見せた。削り節があったら削り節をかけ、プラスティック皿があったら皿をひっくり返した。魚を焼いてもフライドチキンを買ってきても、レオは人間の食べ物に興味を示さなかったのは助かったが、小食でキャッツフードと削り節しか食べないのに、鮮度にはこだわったのだ。
レオの特異な点はまだまだある。気に食わないことがあると吐き気を催すらしかった。冬の寒い日に外に出したら、レオは吐くようなそぶりを見せた。他にもちょっと間違えてしっぽを踏んづけたりしても、水に濡れても、吐くようなそぶりをみせた。なかなか辛辣な感情表現方法である。
そしてレオはとても繊細だった。掃除なんかして部屋に埃が立つと、レオはクシャミをした。もしかすると当猫は猫アレルギーだったのかもしれない。
だけれども、レオは母に甘えていた。たまに客が来て試しに「レオ」と呼んでみると、眠っていたレオはしっぽの先をかすかに動かした。だが、母が呼ぶと、これ以上ないぐらい大きく尻尾を振った。
レオのお気に入りの寝床は電話台の上やマッサージイスの上などいくつかあったが、夜になると母のベッドの上にやってきて、母のフトンの上で丸くなった。決してフトンの中には入らなかったが、母のフトンの上には寝たのだ。試しに母が寝る部屋の母のフトンに別の人間が寝てみても、ちゃんとレオは例え別の部屋に寝ていようと母のフトンの上までいったものであった。
傲慢でプライドの高い猫で、人間に触れることは嫌がり、思いっきり甘えることもしなかったが、それでも晩年は母が台所に立って洗い物をしていたら、レオはしっぽの先だけ母の足にくっつけていた。年老いて弱ってきていたレオは、心細くて母に依存したかったのにもかかわらず、しっぽの先だけちょっとくっつけることに終始したのだ。もちろん母はそれに気づかないことが多く、その尻尾を踏んづけることも多々あったのだが。
去勢猫であるレオは、完全に家猫だった。たまに庭に出ることはあったが、そのときは首輪をつけてヒモをつけて出した。ペットショップから買ってきた猫を、大人になってからいきなり外に出すと、交通事故に遭う可能性が高いからだ。さすがはペットショップ出身だけあって、レオは首輪をされることを嫌がらず、それどころか外に出たいときは自らすすんで首輪をされるのを待った。
実家を立て替えて引っ越してからも、レオは新居にすぐなじんだ。だが、ある日気がついたらレオは外を歩いていた。首輪もつけずに。だけれども、ヒモで繋がれた範囲しか行動しないのだ。母もいちいち首輪をして、首輪を外すのが面倒になって、しまいにはそのままレオを外に出すようになった。レオは塀から出ることもほとんどなく、庭の中で風を受けていることを好んだ。特に小さな松の下にいることを好んだ。雨の日でも出たがって、ベランダを開けたら一目散に松の下へと向かった。小雨でも、しばらくはその松の下で涼んでいた。そして、頃合いを見てベランダを開けたら一目散に室内に駆け込んできた。濡れながらベランダで待つことはしなかったのだ。
ただ、晴れの日に外に出したら、レオはベランダにやってきて開けるよう要求した。鳴いて家人に知らせるのではなく、立ち上がって窓をノックして知らせたのだ。これもまたレオらしい行動だった。そして出たいときは、窓ガラスを引っ掻いたのだ。とにかく媚びない猫だった。
ちなみに、人間の食べ物にほとんど関心を示さなかったレオも、コーヒーのクリープには関心を示した。母がコーヒーを飲んでいるとクリープの匂いを嗅ぎつけてレオがやってきて、欲しそうにするのだ。だから、ほとんど空になったクリープを差し出すと、レオは舐めるのだが、すぐに舌をほろい、手をほろいながらどっか行ってしまうのである。下に粘り着く乳製品は苦手なようだ。だけれども匂いは好きで、同じコトを何度も繰り返したものであった。
1994.01.10撮影。台所の一番高い戸棚で人間を見下ろす猫。
3,別離
涙腺にちょっと問題があったことを除けば、レオは健康な猫で大病を患ったことはない。室内猫なのでケガをしたこともない。ただそれでも、年を重ねるごとに銀色に輝いていた毛並みは白っぽい灰色になっていき、ベッドやマッサージイスの上で寝ることが多くなっていた。だけれども、私はレオがもう少しは長生きすると思っていた。死ぬ数日前になってから足腰立たなくなった。レオが哀しげな声を上げているので母が行ってみると、レオがどうしても立ち上がれないでいたという。あまりにも急だった。それから数日にして、レオは死んでしまった。
レオの死因はよくわかっていない。直接の死因が呼吸不全なのはわかっている。看取った母によると、気管が張り付いて、呼吸が出来なくなって逝ってしまったという。これが単純に老衰の結果なのか、別の病気で弱っていた結果なのかはわからない。とにかく動物病院へ行くのを気が狂ったように嫌がる猫で、医者の腕に噛みつくなどした為医者でさえ恐れる猫なのだ。だから医者に連れて行くことなど出来ず、どこか悪くても医者に連れて行った方が、怯えて可哀想な思いをさせて寿命を帰って縮ませかねない。だから、晩年は医者に連れて行っていないのだ。だから正確な死因はわからない。一応私は、老衰だと思っている。
まあだけれども、大切に育てられて、11年生きたのだ。若い頃は気が狂ったように部屋中走り回り、人間を追い掛けて脚の皮膚を切り裂くこともしたこの猫は、別の家庭に買われていたら捨てられていたかもしれない。この猫を大切に大切に育て、やりたいことはすべて叶えてやった。レオは幸福な生涯を送ったはずである。そうでなければ、健康状態がよくないのにも関わらず昼夜レオに振り回され、最期の数日はずっと徹夜で看病した母が報われない。
そしてレオは、今も、あのお気に入りだった松の木の根本で眠っている。カルシウムが溶けて自然に還るようにと、骨壺から取り出して布に包んで埋葬してある。今までの猫はすべてペット霊園の共同墓地に埋葬されたが、たまたま母が電話帳広告を間違えて、いつもの霊園とは違ったところに電話してしまった。そこで火葬だけして遺骨を持ち帰る案を提示され、そのようにしたのだ。もしいつものところに電話をしていたら、レオもまた他の猫と同じように霊園に埋葬されていただろう。
2003.07.14撮影。晩年のレオが好んだ松の下。