last up date 2003.04.12


32発
 ドイツ製サブマシンガンの伝統的な弾数。その起源は、第一次世界大戦の塹壕戦で、ドイツ軍がルガーP08用に支給したスネール・マガジン(snail magazine)にある。この弾倉は、ルガーP08の通常弾倉に詰められる8発の4倍として、32発の装弾数を持つよう設計されていた。
 大戦後期になって、ドイツ軍は繊細で故障の多く、精度や制圧力の低い自動拳銃に換わる塹壕戦用兵器として、MP18/Iサブマシンガンを開発して実戦投入した。サブマシンガンが制式として実戦に用いられたのは、これが世界初である。このMP18/Iの弾倉は、ルガーP08用のスネールマガジンが流用されていたため、装弾数は32発であった。重くてコストが高いスネールマガジンはやがてボックスマガジンに取って代わられたが、装弾数はやはり32発のままであった。MP18/I、MP35/I、MP28/II、MP38、MP40、MP41・・・それ以降も、ドイツ製のサブマシンガンはほぼすべて標準弾倉は32発に統一されている。この伝統はワルサーMPLにまで引き継がれ、初期のM&K・MP5も32発弾倉が付けられていた。しかし、MP5からは何故か15発/30発弾倉が標準に変更されている。
 なお、ドイツはサブマシンガンの先駆者であったため、ドイツ製サブマシンガンは数多くの国でコピーやライセンス生産され、あるいは参考にされている。そのためか、他国にも32発マガジンを持つサブマシンガンは少なくない。イギリスのステンMKII、チェコのVz24、Vz26、デンマークのマドセンMKII、フランスのMAS M1938、イスラエルのUZI、オーストリアのステアーM1934、MPi69、MPi81などなど枚挙に暇がない。


戻る