last up date 2002.08.20


munich
(1)[M-](固有名詞)ドイツの都市、ミュンヘンの英語名。ミュンヘンは、ドイツ南東部の中心都市であり、バヴァリア州の州都にしてドイツ第2の都市。「芸術とビールの街」との愛称を持つ。冷戦期は西ドイツに所属し、1972年にはオリンピックが開催された。



(2)[M-](固有名詞)1938年9月30日に成立した、ミュンヘン協定(the Munich Agreement)のこと。オーストリア併合に続いてチェコスロヴァキアのズデーテン地方の割譲を求めるドイツに対して、英首相チェンバレン、仏首相ダラディエが、伊総統ムッソリーニを誘い込んで、ミュンヘンに於いてヒトラーとの4者会談が行われた。チェンバレンは戦争を恐れるあまり、ヒトラーに対して妥協を重ねて融和を図り、チェコスロヴァキアの代表不在のままズデーテンの割譲を認めた。これがミュンヘン協定の内容である。
 チェンバレンはチェコスロヴァキアのベネシュ大統領に圧力をかけてこれを認めさせ、ヒトラーに対して譲歩するかわりに対外膨張はこれが最後だとの約束を取り付け、戦争の回避を確信した。また、事実上世界初のトータル・ウォーたる第一次世界大戦の記憶も生々しいイギリス国民の多くは、チェンバレンの宥和政策が平和を維持させたとして歓喜した。しかし、英仏の妥協融和政策はヒトラーの対外侵略への野心を助長し、またソ連は英仏に対する不信感と孤立感からドイツと不可侵条約を結ぶに至る遠因ともなった。その結果、ドイツはポーランドへ侵攻を開始。英仏はやむなく対独宣戦布告を行い、ついには本格的に第二次世界大戦に突入するに至る。



(3)(名詞)独裁者に対して、戦争を恐れるあまり妥協を繰り返し、やがては事態を複雑化・長期化させること。あるいは、そのような協定・条約。もちろん語源は(2)。ヒトラーに対する宥和政策が、返ってヨーロッパの戦火を拡大させ、長期化させてしまったことへの反省から、西欧や米国の指導者は、事態の解決には妥協による融和ではなく、強気な外交と武力行使による短期的解決こそが必要である、との発想を抱いている。もちろんあらゆる指導者があらゆる場合にそのように考え、振る舞うわけではないが、西欧・米国の政治風土として、munichという発想は根付いていると言える。


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