last up date 2005.06.25
ODA(Official Development Assistance)
途上国への資金的援助であるODA(Official Development Assistance=政府開発援助)の定義は、次の3つの要件からなる。(1)政府機関によって供与され、(2)途上国の福祉・経済発展の向上を目的とし、(3)グランドエレメント(注1)が25%以上の援助が、ODAの要件である。このODAの実情と展望について述べる。
ODAの歴史は第二次世界大戦直後である1945年12月の、国際通貨基金(IMF)と世界銀行(IBRD)の設立まで遡る。アメリカは両機関を通じて戦火による荒廃地域や低開発地域への資金拠出を行った。これがODAのはじまりである。この援助の背景には、ソ連を中心とした社会主義的開発モデルとの競争があり、アメリカは途上国を東側陣営に取り込まれないようにODAを拠出した意味合いが強い。
日本も1946年から1951年の5年間にアメリカからのODAを受けて復興の礎とし、1953年には有償支援を得て東海道新幹線・黒部ダム・東名高速道路建設などのインフラ整備に役立てた。かくして日本は、ODAを利用して復興と開発を急速に進めていき、1963年には日本は支援国側の機関である開発援助委員会(DAC)に参加。被支援国だった日本は、今度はODA大国への道を歩んでいく。
しかし他の国々へのODAは、多くの場合、日本ほどうまく機能していない。何故ならば、ODA資金は途上国の権力層に流れ込んで開発独裁を助長し、権力層及び権力層と密接な関係にある支配層に対してのみ利益となっているかだ。具体的には、支援を受けた権力層は関係のある企業に利益を与えるだけの為に無計画な建設を行い、建設された道路やダムは経済効果をもたらさないばかりか、森林の乱開発によって環境問題を引き起こし、あるいは田畑を破壊して雇用を失わせているのである。
冷戦期ならばODAは、西側先進国の権力層が途上国権力層を自ブロックに留めておく為の道具でもよかった。しかし現在ODAの役割は、被支援国の社会を安定させ、支援国が投資や貿易をしやすい環境をつくることにある。その為には、最貧層の開発を進める必要がある。
敗戦直後の日本が支援を得てすぐに復興を出来たのは、日本がすでに教育制度が整い、工業化された社会であった為である。だから人々は仕事を得て、利益が行き渡った。しかし多くの途上国は教育が最貧層まで行き渡らず、その為仕事も少ないのが現状だ。だからこそ最貧層の底上げの為には、上からの開発を促すODAではなく、NPO/NGOによる下からの開発を進めることこそが有効である。具体的には、最貧層の人々を職業訓練して現金収入を得られるようにし、それによって子供を労働力とせず学校へ通わせられるようにして、貧困の悪循環を断つのだ。こうした内発的発展を促すことが出来るのは政府間のODAではなく、民間のNPO/NGOである。そのため、先進国はODAを漸進的に減らし、内発的発展に支援をシフトさせていくことこそが有効である。
注1・・・グランドエレメントとは貸し付けの度合いを示し、数字が大きくなるほど途上国側の負担が軽くなる。一般銀行の金利で貸し付ける場合この数字は0%となり、無償供与の場合は100%となる。
参考文献
「新訂版現代政治学事典」 ブレーン出版 1998年