last up date 2002.12.04
法治国家(ほうちこっか)
(1)国家活動を法によって規制する体制を持つ国家。英語では「legal state」。権力の行使を法に基づかせることによって秩序を生み出し、権力の濫用によってみだりに生命・財産が侵害されることを抑止して経済活動・社会生活を安定させることを法治主義あるいは法治行政という。ここに於いては法の内容そのものは問題ではなく、独裁国家や専制君主国、全体主義が支配する国でも法治国家たること可能である。社会の複雑化が進む現代に於いては、独裁支配や全体主義に於いてさえも、技術的に法治主義を取り入れなければ経済や政情を安定化させられないとも言える。
なお、イギリスに於いて発生した「法の支配(rule of law)」は、権力者と言えども法に背くことはできないという面に於いては法治主義と共通性があるが、法の技術的在り方だけを問題とした法治主義とは異なり、法の内容を重視する。法そのものも、伝統や慣習あるいは国民の同意に則ったものでなければならないとするものである。
(2)法制度が整備された国に於いては、人間同士のすべてのコンフリクトは平和的な対話によって解決される、という幻想を意味するコトバ。あるいは、すべての暴力に対して、暴力が存在することの原因や抑止・解決の方策を分析研究することを放棄し、ただ暴力の存在を否定するために口にされる呪文。(1)の権力の自己規制によって秩序を生み出す国家という本来の意味を大きく外れた、個人レベルの安全のみを問題とするコトバなのだが、広く使われている。
暴力を抑止し、社会の安全を守るためには、権力者や行政の在り方だけではなく、市民の行動を規制するために法は必要である。しかしその法は、どのようにして効力を保持しているのか。それは、警察や軍隊という国家の暴力装置があってはじめて、実効を持つ。市民の自警組織が補助的に、あるいは大きくその役割を担うこともある。法を守らない人間−すなわち犯罪者に対しては、より強力な暴力によって制裁を加え、法に従わせる。だからこそ、人は法に従う。
しかしこの語には、「法と暴力は別物である」「法は暴力を超越した存在である」という前提をも持ち、この語をこの意味で用いる人間は、国家が暴力で市民を抑制している、ましてや市民同士が暴力によって抑止し合うことによって安全を維持している、などという発想はとても受け付けない。そのようなことは西部劇かギャング映画だけの話だとでも捉えているようである。
だが、「法」と名づけられた文言が紙に書かれて公布されただけで、誰がそれに従おうか。他者の生命・財産を奪い、尊厳を踏みにじるような悪意を持つ者に対し、何の抑止になろうか。殺意を持つ者の銃口の前に、形而上の概念がいかなる楯になろうか。暴力があってはじめて法は抑止力となり、それでも守らない者に対しては、暴力で制裁を加え、あるいは社会から排除して秩序を守る。法とは、秩序によって規制された暴力のことであり、規制された暴力によって裏付けられた秩序のことである。
ちなみに暴力装置−秩序の強制執行者は、警察とは限らない。日本やフランスのように、警察が強大な組織と権力を持っている国ならば警察力だけで治安を維持できるかもしれない。しかし、アメリカやイギリスのように伝統的に公権力の拡大を好まない国に於いては、警察は組織も権限も小さく、防犯・警備の担い手としては不十分である。そうした国に於いては、制度化されたあるいは慣習的な自警組織が地域の安全を確保し、また市民は最終的には自身の手で自衛する発想が根強い。こうした国は於いては、自衛する市民のガイドラインとしても、法は存在する。必ずしも市民が自警する社会は、警察支配よりも劣った時代錯誤な社会というわけではない。