last up date 2005.06.27


ポストモダンの国際関係論(ぽすともだんのこくさいかんけいろん)
 ポストモダンの国際関係論は、権力と知識が他者を「脅威」と認定呼称し、他者の差異性を啓蒙ないし排除することに暴力の発生理由を見出す理論である。このポストモダンの国際関係論は、既存の国家が並列的に存在して軍事的に威嚇し合うリアリズムの単純なビリヤード・モデルを批判するばかりではなく、崇高な人倫解放を説く批判理論に対しても、その知の暴力性を批判するところに特徴がある。


 では、ポストモダニストは国際関係をどう分析しているのか。それは、知識を独占支配する権力と権力性を持つ知識が、国家や国際機関の安全保障を規定して在り方を決定づけていると見る視座によって為される。そして権力と知識は、次の3つの段階を踏んで安全保障を志向すると、ポストモダニストは見る。

(1)まず、現状がインセキュリティと認定される。安全保障は必ず、現状が安全かどうか確認するのではなく、何かに脅かされているインセキュリティな状態であるとする点から始められる。そして何が脅威か特定されて、権力と知識はその脅威に備えるよう大衆に求める。

(2)脅威とされる存在に差異性を見出して、それを拡大する。安全保障は脅威とされる対象を必要とするが、権力と知識は差違のある存在を脅威と認定して、その脅威が自分達とは違った存在であると強調して他者性を造り出すのである。

(3)他者によって自己のアイデンティティを構築する。つまり脅威の対象に自分達とは異なる差異性を見出し、自分達と脅威を区別することによって自分達は何者か確認し、アイデンティティを形作るのである。


 こうして「自分達」と「脅威としての異なる他者」に人間を分かち、他者に対して備える安全保障の在り方は、何をもたらしたのか。それは、啓蒙や人倫解放の美名の下に行われる他者に対する「正常化」としての迫害・抑圧、そして他者の排除としての大量虐殺である。
 ポストモダニストの視点に立てば、全ての迫害や虐殺を他者性の認定とその「正常化」と排除として理解できる。西欧文明は長きに渡って「野蛮な」非西欧社会を侵略・支配し、「文明化」の名の下に文化と伝統を破壊し、抵抗する者を殺戮してきた。「醜悪な」ユダヤ人を殲滅しようとしたアウシュヴィッツも、「遅れた」アジア諸国を同化させようとした大日本帝国の植民地支配も、「悪辣な」クロアチア人を殲滅しようとしたセルビアの民族浄化も、「悪辣な」セルビア人を制裁する為のコソボ空爆も、「異常な他者」を排除ないし「正常化」する為に行われてきたことである。


 では、脅威としての他者が消失するとどうなるのか。脅威を他者化することによって自己認識してきた人々は、新たなる脅威を造り出してアイデンティティを創出しようとするとポストモダニストは説く。冷戦崩壊後の米国とNATOにその動きが見出せる。米国はかつての東側に替わる脅威として、非民主国家やイスラム原理主義者を見出し、「民主化」の美名の下にそれらの殲滅を志向している。ワルシャワ条約機構の消滅によって存在理由を失ったNATOは、地域紛争への介入にアイデンティティを求め、独裁者や非合法武装組織を脅威と認定するようになった。
 こうした安全保障が志向され続けることの結果は、共生の可能性が摘まれることである。権力と知識による飽くなき差違の認定とその拡大は、人々に他者との差違ではなく共通性を見出す発想を失わせてしまうのだ。ポストモダンの発想はこうした問題を析出して、他者への認識と実際との乖離をいかに埋めるか探る試みへの土台を作ったことで、評価される。


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