last up date 2006.05.12
イデオロギー
イデオロギーとは個人や集団に帰属する政治的態度の複合体である。マルクスはイデオロギーを下部構造、つまり生産従事者と生産手段所有者の関係を管理する上部構造全体を決定するものであるとして、社会科学に取り込んだ。唯物史観に於いては生産力の増大が生産関係を変動させようとするが、国家などの政治機構としての上部構造がそれを阻止しするとし、イデオロギーは権力者層による生産関係固定化の為の見せかけであるとした。そしてイデオロギー批判こそが階級闘争の手段としたのである。しかしマンハイムによってイデオロギーは支配階級のみならず、あらゆる社会関係の持つ変革意識であるして相対化され、マルクスの階級闘争をもイデオロギー的であると指摘した。
また、都市化と工業化は大衆社会をもたらし、拠り所を持たない個々人としての大衆は、自己確認の為にイデオロギーを求めた。アイゼンクの言う、イデオロギーの個人化である。つまり人々は、自己を外化・抽象化することによって社会に於ける自己の位置づけを探る世界観として、イデオロギーを意識的に、あるいは無意識的に採り入れているのである。こうした人々の心情につながる政治的態度としてのイデオロギーは、権力者や権力志向者によって利用されるようになった。
イデオロギーの非合理的・ユートピア的な現実変革の側面はデマゴーグにつながり、合理的判断と利益追求としての側面はテクノクラシズムにつながる。その為、強権政治はイデオロギーを利用して大衆の動員とヒエラルキー化を促すのである。具体的には、扇動と経済成長を約束して政権を掌握したナチスドイツ、非階級国家の建設を掲げ開発モデルとしてテクノクラシズムに傾斜したソ連が挙げられる。また、開発独裁の権威主義体制にも、開発主義としてのイデオロギー性が見られる。
しかし高度産業社会の到来に際して、社会主義や開発主義のイデオロギーは後退し、ベルやリプセットによって「イデオロギーの終焉」が叫ばれている。しかし一方ではナショナリズムや市場主義が興隆し、これらもまた、自己確認と現実変革としての政治的態度という意味に於いてイデオロギー性を帯びていると言える。
参考文献
「新訂版現代政治学事典」 ブレーン出版 1998年