last up date 2002.06.26


学歴逆差別(がくれきぎゃくさべつ)
 高学歴者が、高学歴者であるというだけの理由で受ける、不当な差別のこと。
 例えば、「××高校からは数多くの粗暴犯が出ている。だから××高校の人間はみんなクズだ。こういう学校を出た人間が世の中の治安を乱す」と言えば、大変な差別として弾劾される。しかし「東大法学部を出て贈収賄や背任に手を染める人間は多い。だから東大法学部の人間はみんなクズだ。東大法学部を出た人間が世の中を悪くする」と言っても、弾劾されることはあまりない。これが学歴逆差別の典型的な一例である。
 もちろん罪を犯した人間は裁かれなければならないが、東大法学部生あるいはそのOBだというだけで犯罪者(あるいはその予備軍)、人格異常者、社会のクズとして扱うなどというのは大変な差別である。差別とは、個人の人格や能力とは関係なしに、ただある集団の成員あるいはその出身者であるというだけで、その人格や能力を低く見られ、さらには生い立ちや家庭環境、身体的精神的能力まで貶められることである。どこの大学を出ようと出まいと、それだけでクズ呼ばわりする差別などはとんでもない暴力なのだが、「学歴社会」や「学閥支配」へのアンチテーゼが一人歩きした結果、逆差別が「正当なもの」「真実である」として問題視されないのが日本の現状である。
 「学歴社会」や「学閥支配」を批判するのは勝手だが、そうした主張にとって本来の敵である「社会構造」ではなく、学生やOBといった個々人にばかり目を向け、それを侮辱するだけでは、本来の目的の支障になるはずである。また、無辜の人間をどこかの学校を出たというだけで侮辱し貶めるなどというのは、低学歴者への不当な侮辱と同じくらい問題である、という認識がなされないのは問題である。その背景には、自分よりも立場が高そうな人間を貶めれば、相対的に自分(たち)がとにかく高まるという錯覚がある。こうした二者択一的なシーソーのごとき優劣関係に人間が囚われている限り、学歴逆差別も含めたあらゆる差別は存続していくと予想される。


 余談だが、よく述べられる出典不明の「東大法学部OBの汚職者数が多い」との文言だが、それは単に東大法学部卒の人間が出世しやすいからに過ぎない。日本の大学はマレーシアのように入学者に人種制限があるわけではなく、特別な富裕層でなければ行けないわけではない。イギリスのように不文律として階級差別が為されているわけでもない。少しばかり努力をすれば誰でも入れる。東大法学部のカリキュラムとて、他大学と比べて特別、人格を堕落させるような代物であるわけがない。ただ、どんな出自の人間であろうとも権力を掌握すると、それを悪用する欲望が生まれるし、権力の周りには悪用させようと企む輩が寄ってくる。それだけのことである。
 「学歴社会」の問題点を提起したい人間がここで問題にすべきは、「東大法学部を出た人間が、それだけの理由で出世しやすい構造があること」であって、「どこの大学を出た人間が何人捕まった」「だからどこの大学の人間はみんなクズだ」ということではないはずである。


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