last up date 2005.07.09
開発独裁(かいはつどくさい)
開発独裁とは、低開発国に於いて軍事政権が、強権によって国内の反対を抑えつつ開発を押し進める体制を指す。広義ではソ連に支援された社会主義ブロックや日本を中心とした大東亜共栄圏も開発独裁と見なすことが出来るが、狭義では冷戦下の米国に支援されて成立したものを指す。
冷戦期に於いて米国を中心とした西側先進国は、資本援助を武器に低開発国を反共陣営に取り込もうとした。一方低開発国には、先進国と交渉する知的レベルと国内を統治する行政能力を備えた人材は軍人しかおらず、往々にして軍人が政権を担っている。こうした軍事政権は民主的プロセスを経ておらず、多くはクーデターによって成立している為に国内コンセンサスを得られず、武力でもって反対を抑える性質を持つ。この強権が、反共と外資導入にとって都合が良かった。かくして開発独裁は、武力によって共産勢力を弾圧して政権転覆を抑制し、労働運動も禁止あるいは管理して人件費を抑えつつ外資による開発を進め、経済成長を実現させたのである。
開発独裁の具体例としては、アジアでは韓国・朴正煕政権、台湾・蒋経国政権、フィリピン・マルコス政権、インドネシア・スハルト政権、シンガポール・リー政権、そしてチリ・ピノチェト政権をはじめとする南米各国が挙げられる。
アジアと南米の開発独裁の違いは、2点ある。それは、アジアが中国・ヴェトナムの軍事的圧力に晒されていたのに対して、南米は冷戦構造から遠かったこと。そしてアジアが日本の大東亜共栄圏に組み込まれていたのに対し、南米は米国の半植民地状態に固定化され続けていることである。
つまり前者、冷戦からの距離の違いは、アジアにはより強力な軍事的・経済的支援をもたらし、軍官産を発達させて強力な開発独裁を展開させた。しかし一方、共産ゲリラの活動はあるものの社会主義陣営の軍事的脅威は乏しい南米には、あまり大きな支援は与えられず、したがって軍事政権の権勢はそれほど強固ではなく政権不安定化しがちだった。
後者の問題は、植民地支配の性質の差と言える。日本から大東亜共栄圏支配を受けたアジアは、前述の通り一種の開発独裁が行われていた。すなわちアジアでは日本支配の下で、インフラと(皇民化を目指したものであれ)教育の整備がある程度進んでいた。特に韓半島と台湾では顕著である。こうした社会資本が、戦後の米国主導による開発独裁の効果を高めたことは否定できない。そしてアジアへは日本からの戦後賠償的なODAが開発独裁政権を強力に支えていた面も見逃せない。一方、南米は、米国企業によって収奪される半植民地に過ぎず、米国によってインフラや教育の整備がされることはなかった。これが現地政府への資本援助の効果を、アジアに比して低下させている。
これがアジアと南米の開発独裁の差違である。
だがいずれにせよ、開発独裁が行う開発は歪であり、様々な問題を引き起こしている。その歪みは具体的には次のようなものである。(1)労働運動を禁止し、あるいは上からのコーポラティズムでもって労働運動を抑え込み、労働者の所得や労働環境を低い状態に留めてしまう。(2)軍事政権は軍需産業の軍事インフラの整備を優先し、民需へ投資があまり回らない。特に教育や厚生は蔑ろにされる。(3)権力層とそれと関係の深い富裕層が私腹を肥やす構造が固定化され、腐敗が進み開発効率が低下する。
開発がこのように歪な形になってしまうのは、支配層が利得を独占する為であると同時に、外資が投資条件として安価な労働力を求めている為でもある。これはガルトゥングが言う、中枢国の中枢が周辺国の中枢を橋頭堡として支配する、構造的暴力である。こうした構造の下で開発が行われた結果、インフラは整備され工業化が為されてGDPそのものは向上したが、一般労働者の生活水準は低い状態に固定化され、貧富の格差が拡大した。貧富の格差は共産主義革命運動の温床にもなり、政権の不安定化の要因ともなった。実際、フィリピンやインドネシア、そして南米の開発独裁国に於いては、政府と共産ゲリラとの抗争が続いてきた。
このように開発独裁は大きな問題を内包しているが、歪ながらも経済成長を実現し、開発独裁国を途上国の中では裕福な国とした。やがて少しずつ経済的利益が国民に配分され、消費地としての発展が民需生産を高めて、先進国に準ずる経済国となった国もある。具体的には韓国、台湾、シンガポールである。こうした国民所得が高まった開発独裁国では下からの民主化運動が展開され、民主国家に脱皮しつつある。貧しい低開発国を準先進国へ押し上げたことについては、開発独裁は経済成長の有効な手段と言うことができる。
しかしフィリピンやインドネシアなどでは経済成長は進んだものの国民への配分が不十分で、腐敗と歪な経済構造が尚も貧富格差と政権不安定性の原因となっている。こうした国への政府間援助は、支配層に吸い取られてしまい貧困層の生活改善にはつながらない。こうした構造性を造り出した点については、開発独裁には大きな罪がある。貧困層の内発的発展の促進によって開発独裁的な構造を打破することが、アジア・南米途上国の政治的安定と貧富の格差是正の大きな課題である。