last up date 2004.01.17
改造拳銃(かいぞうけんじゅう)
「改造拳銃」というコトバは拳銃と名の付くもののあらゆる改造品を表すのに用いることが出来るが、ここに於いては「モデルガンを改造して実弾を発射可能にしたもの」の意味に限定して取り挙げる。モデルガンは言うまでもなく模型であり、いわば玩具である。しかし初期のモデルガンは金属によって製造されていた。もちろん玩具であるため金属の強度は低く、暴発や破裂の危険があったが、撃発機構などの僅かな改造によって実弾発射可能になるものもあった。こうしたモデルガンから作られた改造拳銃は、冷戦終結によって余剰火器が大量に安価で日本に流入するまでは、暴力団の武器として大きな役割を果たしてきた。
第二次大戦の敗戦後、日本に於いて一般人の拳銃所持は事実上禁じられた。しかし、実際には戦後しばらくの間は個人が戦前戦中に購入したものや旧軍の軍用拳銃、それに進駐軍の横流し品など、相当数の拳銃が闇市に出回っていた。戦後の混乱期に於いては、犯罪組織の抗争から不良学生のケンカに到るまで実銃が多用され、市街戦の様相を呈することもあった。しかしやがて警察力の強化と法整備によって、違法拳銃の多くは押収・回収され、犯罪者が実銃を手に入れることは困難になっていった。
国内で拳銃を入手することが難しくなると、犯罪組織は武装を進める為に2つの手段によって銃器を調達するようになる。1つは海外からの密輸。もう1つがモデルガンの改造である。
前者で得られる真性拳銃は、例え粗製コピーであったところで当然のことながら改造拳銃よりは信頼性が高く、威力の大きな弾薬を使用できる。しかし密輸は捜査強化によって年々難しくなっていく。さらには密輸された実銃が20〜30万円と高値で取り引きされているに対し、改造モデルガンは10〜15万円程度と比較的安価で取り引きされていた。しかも入手が容易であるり、自作すれば格安である。その為、改造拳銃は、暴力団によって組織的に製造されて、昭和40年代には拳銃以上に用いられるようになる。ちなみに警察が1974年に押収した拳銃1514丁のうち、793丁が改造モデルガンであった。
こうした改造拳銃は多くが単発で、弾薬は主に.22LRが用いられた。単発のものが多い理由はもちろん製造が容易だからである。しかし中には.380ACPのブローニングをベースに実際に排莢・装填可能なものも製造されたという。また、弾薬に.22LRが用いられた理由は、脆弱な材質のモデルガンから発射するには威力の低い弾薬が適しており、また、.22LRは競技銃の弾薬として合法的に入手できるというメリットがある為だ。もし.38splや.45ACPの真性拳銃を入手しても、こうした弾薬の補給は困難である。
だが改造拳銃が暴力団抗争に使われるに至って、モデルガンは法によって大きな規制を受けることになる。モデルガンは銃身内部(銃腔)を塞がなければならない、薬室は一回り小さくする、玩具とわかるように王冠のマークを刻印し、黄色に塗装しなければならないなど、数度にわたって規制は強化されていった。しかしそれでも暴力団は埋められた銃身を掘って穴を開けるなどして、実弾発射可能な改造拳銃を生み出していった。
それに対しモデルガン業界は、銃身に堅い金属を使って掘れないようにするなどの対策を進めた。そして金属製モデルガンそのものが流行らなくなる。黄色に着色されたモデルガンは実銃の気分を楽しみたいユーザーにとっては興ざめであり、また改造防止の為の設計や製造は手間にかかるからである。その為、黒い外観のまま販売できるプラスティック製へと、モデルガンの材質は移っていく。
かくして改造防止対策の強化とプラスティックへのシフトによって、改造拳銃の製作は困難になっていった。さらには冷戦終結とソ連崩壊によって、中国・ロシアから余剰の軍用拳銃を容易に入手できるようなるに至って、改造に手間がかかる上に暴発・爆発のリスクのある改造拳銃は、暴力団に武器としてはほぼ完全に姿を消したと言える。
参考文献
「月刊Gun」1975年10月号 国際出版