last up date 2005.06.25


絶対王政国家(ぜったいおうせいこっか)
 絶対王政国家とは、諸階級の勢力が均衡してどの階級も支配層たり得ず、その調停を行う君主に政治権力が集中する国家のことである。絶対王政国家の起源は、ローマ帝国没落の分権的封建領主国家にまで遡る。ここに於ける封建領主は度重なる十字軍遠征の繰り返しの中で再編成され、強力な君主が生まれた。つまり、各地に割拠する諸侯が権力闘争を繰り返し、地方の大小の領主に分散されていた政治と経済の実権は君主に集中されて、民族統一的国家が成立したのである。これが絶対王政国家へ発展していくのだが、絶対王政の確立には官僚制と常備軍、重商主義、下部構造のバランス、王権神授説が不可欠である


 統一的民族国家は広大な領土を持ち、国内に多くの封建貴族を擁していた。その為、君主が効率よく統治するには官僚制が必要であり、武力集団である封建貴族を支配するためには常備軍が必要であった。この官僚制と常備軍は、相互依存的にブルジョワジーを発展させていく。つまり整備された官僚制が効率の良い商業発達を約束し、王の常備軍は商業の収益によって整備されたのである。この為の経済政策は重商主義と呼ばれる。
 重商主義とは、貴金属を蓄積して国内産業の振興と雇用の促進を図る政策である。これは3段階に分けられる。まず、貴金属を流入させて貨幣の増加を図り、商品経済を発達させる重金主義。次に、貴金属を確保する為に貿易で黒字を出す、貿易差額主義。そして、黒字を出す産業を保護する保護貿易主義である。こうした経済状況の中で、ブルジョワジーが躍進した。


 そして下部構造のバランスも重要である。前述の通り、当時はブルジョワジーが躍進した時代であったが、それと同時に未だ農業を基盤とした封建貴族も特権を維持していた。両者は啓蒙的な要素と中世への後進的な要素という相反する性質を持っており、対立は必然であった。この対立こそが、君主に権力を集中させた。つまり、ブルジョワジーも封建貴族もどちらも支配層として躍進できない均衡状態にあったからこそ、君主が調停役として君臨できたのである。
 また、国内の権力を一手に掌握する絶対君主の正統化の為に、王権神授説が唱えられた。これは、神が王に人間界の支配権を与えたので、その支配は正統かつ神聖なものであるとする思想である。これによって、君主を国内最高の権威と見なされたのである。


 しかし絶対王政にも衰退が訪れる。新興勢力故に君主の庇護を必要としていたブルジョワジーは、生産力の拡大によってその庇護を必要しなくなったのである。ブルジョワジーは、絶対君主の恣意的・非合理的な支配を商業の妨げと判断するようになり、絶対主義権力の抑制・排除を目指すようになっていく。
 こうした情勢下で発達したのが啓蒙思想である。社会の不条理な現象を分析しその本質を突く啓蒙思想は、絶対王政の非合理性・恣意性を暴き、批判したのである。この啓蒙思想は社会に大きな影響を与え、ブルジョワジーのみならず封建貴族にも反絶対王政の意識を高めた。封建貴族は中央集権によって権力を奪われ、国税の圧迫によって財政的にも窮乏していた為、絶対君主への反感が強かったのである。こうした反絶対王政の気運の高まりは革命を引き起こし、絶対王政は衰退していったのである。


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