last up date 2005.06.25
自民党の派閥(じみんとうのはばつ)
派閥とは、出身地・出身校・婚姻関係などの個人的な関係に基づく、非合理的・非公式的な組織内集団のことである。日本の全ての社会に派閥は存在すると言われ、当然政党にも存在する。特に長年政権与党として君臨している自民党の派閥は、閣僚人事や政策決定に対して共通利害を持つ政党内部に於ける政党の役割を担っている。この自民党に於ける派閥について述べる。
まず自民党に於ける派閥のメリットは、2つ挙げられる。(1)大政党を纏めて意見調整を果たす機能。議員個々人は派閥に意見をすり寄せ、各派閥の主張はバランス人事によって調整され、スムーズに議事が進行する。(2)中心的位置に立つ派閥が交代することによって政策が転換される、振り子的なバランス機能。これは政党内政権交代とも言える。つまりもし派閥が存在しなかったら1人の有力議員が暴走し独裁に発展する恐れもあるが、政策に対しては必ず党内で対抗勢力が結成され、政策の極端化・固定化を抑制する機能を派閥は果たしているのだ。だからこそ一党優位政党として自民党は、長年に渡って政権を担ってこられたのである。
一方で、大きなデメリットも存在する。派閥はあくまで恣意的な欲による集団であって、共通の理想で政策実現を目指す集団ではない。議員は選挙資金とポストを求めて派閥に属しているので、容易に意見を派閥に擦り寄らせてしまうのだ。そして派閥は多くの議員を擁して自らの勢力を維持拡大する為に多額の資金を必要とし、活発な集金活動を行う。その結果、派閥は献金を受ける圧力団体と関係省庁との口聞き役と化してしまうのだ。実際、法案作成は官僚に依存してきた為、自民党には政策・法案の立案スタッフが発達していない。こうした体質が、社会の問題を見出すことも実際的な解決を図ることも、困難にしているのだ。これが派閥政治の問題点である。
では何故自民党に於ける派閥は、フォーマル化され組織化されたのか。これを自民党に於ける派閥の歴史から見ていく。その為には自民党発足時にまで遡る必要がある。自民党は、革新政党の大連合に対し自由党・民主党の二党が合従連衡して誕生したものであり、両党とも保守諸党の寄り合い所帯であった。つまり自民党は、元の諸党の有力政治家が自らの勢力を率いる、インフォーマルな派閥の集合体として誕生したのである。
こうして自民党が内包していた派閥の組織化を進め、派閥の領袖の下に事務総長・幹事長などのポストが設けられてフォーマルな性格を帯びて運営されるようになった理由は、次の3点にある。(1)自民党に大衆組織が存在せず、新人候補者の募集や選挙運動を派閥が行ったこと。(2)同一選挙区から複数の候補者が選出される中選挙区制度が長らく取られていた為、定数の割り振り機能を派閥が持ったこと。(3)決定的だったのは、選挙によって党首が選ばれる総裁公選制度が取られていること。
つまり派閥は、ポストの獲得にその存在意義を見出したために、組織化してその目的へ邁進するようになったのだ。政府・党ポストは原則として派閥の構成員数によって決定される為、有力政治家は派閥の領袖となり構成員を集める必要がある。その際、領袖は構成員を集めるために政治資金の供与をも行う。現代の選挙は多額の資金を必要とするので、一般議員にとっては派閥に参加するインセンティブとなる。つまり派閥とは、政治家の権力欲によって成立している集団と言うことが出来る。かくして欲が、派閥の役割を恒常化・固定化させたと言える。
参考文献
「新訂版現代政治学事典」 ブレーン出版 1998年