last up date 2003.02.07


少数精鋭(しょうすうせいえい)
(1)他よりも優れた少数の人やモノ。優れた少数者が圧倒的大多数を打ち倒したり、あるいは大きな偉業を成し遂げるというのは、非常に好まれる発想である。少数の高性能戦闘機が、敵機の編隊を駆逐する。弱小大名が、大大名の行軍に奇襲をかけて敵将の首級を奪う。中小企業が革命的な製品を開発し、市場を新規開拓する。こんな話は非常に好まれ、創作やドキュメンタリーに頻繁に登場する。しかし逆に言えば、大軍が弱小兵力を打ち負かしたり、巨大組織が大きな成果を挙げるようなことは、あまり好まれない。。
 多数者が少数者を蹂躙するのは当然の帰結であり、大組織が大事業を成し遂げるのも意外性がない。そして何よりも、大軍や大組織の所業を考えるにあたっては、参加した個々人を抽出して見ることが困難であり、ドラマ性を見出すことが難しい。しかし少数者が主役ならば、「当たり前」のことをひっくり返す意外性があり、そして参加した個々人を抽出して見ることが容易である。つまり、偉業を為した人々の人格を礼賛して権威化・神格化しやすく、自分と重ねたり目標とすることもたやすい。さらには、綿密な計画を行って大軍を動員し、管理機構を整備してそれを運用する。あるいは徹底した分業と責任分配によってプロジェクトを組む。このような組織力による勝利や成功というものを理解できない人間にとっては、物事の成否の要因は人格でしか判断できない。構造やシステムを分析するよりも、ごく少数の人間の人格にすべてを帰結させて考えれば、これほど簡単のことはない。
 だからこそ、フィクションであれ事実であれ、少数者が何かを為すという発想は好まれる。 



(2)組織力の貧弱な集団が何かを為す際の、ほぼ唯一の方法論。少数精鋭というのは、適切な責任体系や分業、通信連絡が為されていない場合には有効な発想ではある。少数精鋭と対比されるものとして「烏合の衆」なるものがあるが、組織力が貧弱な場合、人数がいればいるほど統率がとれなくなり、他を頼る怠惰、他と同じことをする重複、目的以外のことを勝手に行う暴走、さらには内部での内紛なども起きやすい。烏合の衆とはそのような、大人数であるが故に機能不全な集団を指す。だからこそ、こうした組織作りが出来ない場合は、指導者の情や直接暴力が有効な人数で一丸となることはほぼ唯一の集団行動の在り方と言えなくもない。
 基本的には責任体系などというものがなく、情による繋がりなのであらゆる無茶と横暴が横行しやすい。指導者のため、集団のため、あるいは別の他者のために「一肌脱ぐこと」、つまり個々人が理不尽な献身的犠牲を払うことが美徳とされ、それ故にかなりの融通性を持ち、過酷な状況下でもある程度は無理が利く。しかし、「〜のため」という美名のもとに精神論や自己犠牲を礼賛するあまりに問題提起が不可能に近く、負担の不均衡に対する評価・報酬の不公正、仕事そのものとは無関係な序列間の横暴・暴言・暴力は是正が極めて難しい。すべては指導者の胸三寸になってしまう。
 「少数精鋭」なる発想は、所詮は「烏合の衆」と同様、もっとも原始的な集団の在り方と言える。



(3)人が、自分たちはそうでありたいと思いたがるもの。自分が何かを為す場合に、目的を細分化して責任を分配し、大人数でもって目的に向かう発想や能力がない人間は、とにかく少数で物事を行いたがる。その方が、組織を編成する労力が要らず、成功した場合は自分を含めた面々を「精鋭」として礼賛して悦に入ることが出来、失敗した場合は具体的な事象を検討することなく自分以外の成員の人格のみを責めればそれで済むからである。「責任」あるいは「構造」「システム」という概念を持たない人間の発想とも言える。
 特に組織の内部の成員達が、少人数の人間でつるんで「少数精鋭」を気取ることは少なくない。こうした人々は、他の成員と比べて自分達が仕事に於いても志に於いても優秀であり、他の成員は能力も低く熱意にも欠けるという前提を持つ。単純に、不満や怒り、嫉妬のはけ口として、似たような利害や似たような敵を持つ人間同士がつるんで、自分達と他者とを優劣関係として捉えるようになることがその始まりと考えられる。だからこそ、「烏合の衆」である他の成員に対して影響力を行使し、自分達の望むように組織と成員を導いていこうと考える。これを「派閥」という。こうした「少数者」が実際に何かを為しえる権限と実行力を持っている限りは、こういう「有志」の行動が組織全体の利益となることはある。だが、こうした内部少数者が独自に目的を設定し、あるいは独自に他との協議・コンセンサスもなきまま独走することは、組織や成員が掲げる目標から逸脱した結果を引き起こすことにも繋がり、そうしたこおむった損害・不利益は組織全体・成員全体のものとなる。
 このような危険な独走を「有志」が行う正統性ないし正当性としては、自分達のやるようにやればうまくいく、今の指導者や他の成員のやるようにすればダメだ、自分達が過去の先達の志を具現化している、などなど様々なものが掲げられる。しかしそれを正統/正当として判断するのは自分達以外の何者でもなく、自分達の心意気とやらと能力の優越を確信しているからに他ならない。この思い上がりこそ、組織にとって最も危険なものと言える。


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